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ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ。 このウェブサイトは、17世紀イングランド発祥の啓蒙思想の研究および、この啓蒙運動のヨーロッパ/北米/日本への伝播・発展についての研究を促進し、広く発信することを目的としています。 従来の哲学/政治学/経済学/宗教思想とい...

2022年4月27日

第25回研究会の報告

   

第25回イングランド啓蒙研究会

2022/3/27 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、以下の3名が研究発表を行った。


瀧田寧「何が自立を可能にするのか ロックにおける「試みること」の意義」

 ロック知識論の特質を示すキーワードの一つに、「白紙」がある。人間の心は、もともと「白紙」のように具体的な文字が何も書き込まれていない状態、つまり具体的な何かに縛られていない状態であるのに、自らの知性で事物を判断するようになる頃には、いつの間にかさまざまなものに縛られている。知性がそうしたさまざまなものに縛られることなく、それらから自立して、自らの力を総動員した成果として知識の確実性を知覚したり、意見や信念の蓋然性を判断したりしていくべきである、ということが、ロック知識論の意義の一つと考えられる。

 そこで本報告では、まずロックが知性の自立のために考慮すべきこととして、主にどのようなことを述べているのかを挙げていった。次にそれらを、17世紀の半ばにフランスのポール・ロワイヤルの人々によって書かれた『論理学、別名思考の技法』のうちに見られる人間観と比較した。その結果両者には、「他者の見解に縛られたり鵜吞みにしたりするのではなく、また自らのうちに湧き起こる情念に流されることもなく、真理そのものに対し自らの多角的思考を働かせて確実性や蓋然性を判断できるよう知性を鍛えるべきである」という類似点が見いだされた。

 ところで、ロックが知性の自立のために考慮すべきことを述べた箇所として上に挙げたものの一つに『人間知性論』第2巻第21章があるが、その章は、第2版で初版の見解に修正が加えられ、大幅な追加がなされている。その修正点とは、「大きい方の善が、意志を決定する」という説を初版では当然としていたが、第2版では、「大きい善に釣り合って起こった欲望が、善のないことに私たちを落ち着かなくさせないうちは、善は意志を決定しない」という結論を導くことになった、ということである(2-21-35)。つまり、善と意志との間に「落ち着かなさ[uneasiness]」を挿入することになったのである。この追加箇所の内容は、『論理学、別名思考の技法』のうちに類似点を見いだすことが難しい。

 そこで本報告では、この追加箇所を中心に取り上げ、「快」の欲望としての「落ち着かなさ」がどのような行為へと人間を駆り立てていくのかを検討した。そのうえで、その実践編がどのように描かれているのかを、同時期に書かれた『教育に関する考察』第3版の追加部分や、その後に書かれた『知性の正しい導き方』の中に見ていくこととした。

 その結果、「快」の欲望としての「落ち着かなさ」が人間を「試みる」という行為へと駆り立てること、またその「試みる」という行為が出発点となって思考が始まり、やがて遠い目標を観想できるようになること、以上二点がロックの考え方の特徴として浮き彫りにされた。これらを踏まえると、知性の自立が可能になるのは、人間が「知る」ことの快さを欲して「試みる」という行為へと駆り立てられ、「試みる」という行為と「知る」という快の思考との往還のうちに徐々に遠い目標への観想が生みだされ、ついにその観想された目標と照合しながら目の前の事物を判断できるようになるときではないか、という結論が導かれた。



下川潔「トマス・ペインと新しい自然権概念 ロック自然権概念のラディカルな変容」

 18世紀ヨーロッパ啓蒙の時代に自然権概念が二つの革命とともに歴史の表舞台に登場し、第二次大戦後にそれが人権として世界人権宣言の中で再生したにもかかわらず、啓蒙の自然権概念の特質やそれ以前の自然権概念との差異については、あまり研究がなされていない。本発表では、啓蒙の祖ジョン・ロックの自然権概念が、どのような過程をたどって変容し、18世紀末のトマス・ペインにおける「人間の権利」の概念が成立したのかを解明することを目指す。その第一歩として、ペインの自然権権利の概念を同定し、ロックの自然権概念との比較を試みたい。

 ウルストンクラフトやリチャード・プライスの場合とは異なり、ペインにおいては、比較的容易に、自然権概念に焦点をあわせることができる。『人間の権利』第一部(1791年)によれば、人間の権利ないし自然権が何であるかを知るためには、人間が神によって創造された時点に遡らなくてはならない。創造の時点では、人間の単一性ないし平等性があり、男女の区別が唯一の人間における差異であった。「自然権とは、生存しているという理由で人間に属している権利のこと」であり、その権利は二種類に分かれる。第一に、「あらゆる知的な権利、ないしあらゆる心の権利」があり、第二には、「他人の自然権を損なうことなしに、自分自身の快適さと幸福を求めて、個人として行為するあらゆる権利」がある。前者は、良心の自由、信教の自由、思想・学問の自由、表現の自由、出版の自由などの精神的由への権利を含み、後者は、人身の自由、財産を処分する自由をはじめ、あらゆる行為の自由を、他者の自由を侵害しないという条件のもとで認めている。

 ペインによれば、第一種の権利は、社会の力を借りずとも、個人が自らの力を使って行使できるのに対して、第二種の権利に関しては、それを行使、執行するためには、損害賠償の場合のように社会の援助が必要となる。そのため、社会を形成する際に個人は第二種の権利の一部を社会に譲渡し、寄託することになる。ペインはさらに、フランスの「人間と市民の権利の宣言」(1789)の条文に即して、自然権の説明を補足する。その宣言の最初の三条は、人間の自然権と国家の一般規定であり、他の条文はその具体的説明だとし、特に第4条が行為の自由への権利を定め、第10条や11条は、良心の自由、信教の自由をはじめとする精神的自由への権利を定めていると指摘する。

 このような自然権理解は、ロックのそれと比べて、いくつかの点で明確に異なっている。両者とも自然権概念を神と結びつけてはいるが重要な差異が存在する。

  1. ペインが精神的自由と(物質的な)行為の自由の両者を自然権として捉えたのに対し、ロックは、主要な自然権を、各人の「生命」、(人身の)「自由」、(労働や貨幣で築いた)「財産」という現世の三つの財への権利に限定し、良心の自由(ないし信教の自由)をこの種の自然権から排除し、統治者や隣人の宗教的寛容の義務によって実現するような、単なる消極的自由として扱った。
  2. ペインの行為の自由への権利は、ロックが自然権の大枠として採用したプロパティ(排他的支配権)という枠組を取り払ったうえで成立する権利であり、この点でジェファソンやビュルラマキの幸福追求権に類似し、また、ミル的な危害原理を明確に取り入れている。
  3. ペインは、寛容を不寛容の偽造品として批判し、寛容の義務ではなく、万人の自然権として、良心の自由や信教の自由を弁護しており、この点でおそらく大きな現代的意義ももつと思われる。
 以上の比較をさらに思想史的に肉づけし、ペインの『人間の権利』第二部(1792)に即して自然権と万人の幸福の関係を解明し、『農地の正義』(1797)における土地所有権の位置づけを考察すれば、ペインの自然権概念は、ロック自然権がラディカルに変容したものとして浮か上がるだろう。



武井敬亮「トーランド以降の理神論の展開 ジョン・ロックの「理性」認識を起点に」

 本報告では、アンソニー・コリンズの『理性の使用に関するエッセイ』(以下、『エッセイ』)An Essay Concerning the Use of Reason (1707)の分析を通じて、ロックの「理性」認識を援用する“理神論者”の議論が、ロックの立場からすれば、意図せざる結果として、合理化(=理神論的傾向が強化)されていく思想伝播の在り方(=啓蒙思想の展開)の一端について考察した。

 コリンズは、「理性Reason」という言葉を、「命題を構成する諸観念の必然的な、あるいは、蓋然的な一致・不一致」によって「命題の真偽や確実性・不確実性を知覚する知性の働き」と定義する(pp. 3, 4)。その上で、①直感的に知覚する場合、②中間的な観念を媒介にして知覚する場合、③他者の証言によって知覚する場合について考察する。コリンズが特に注意を向けているのが③である。その理由は、コリンズが、「啓示宗教の信仰は[聖書の]証言にもとづいている」と考えていたからである(p. 7)。当時、信仰の対象(具体的には三位一体)の真偽をめぐって論争が繰り広げられていたことが背景にある。

 次に、コリンズは、「理性を超えたabove Reason」の意味について、①その対象を自分の能力で直接に知覚できない場合、②その対象と完全に一致する観念を私たちがもたない場合、③対応する観念を私たちがもたないにもかかわらず同意(信仰)の対象とする場合、について考察する。①の場合、私たちが直接に知覚できないもの(その意味で「理性を超えた」もの)であっても、第三者の助け(証言を含む)によって、それを知覚することができるという。この議論は、聖書における奇跡についての証言も、理性による判断が可能であることを含意する。②の場合、その対象自体が「無nothing」であり、認識の対象にならないという。③の場合、三位一体を例に、自身の証言に関する議論に依拠しながら、同時代の神学者による解釈を論駁することによって、それが同意(信仰)の対象にならないことを示す。

 以上の議論から、コリンズは、ロックの認識論を援用しながら、すべての命題を理性の対象に含め、その真偽、確実性・不確実性を判断することが可能であると主張していることが分かる。特に、コリンズが「理性を超えたabove Reason」の意味について考察する中で、第三者の助け(証言を含む)によって、理性の対象に含める議論をしている点や、私たちが対応する観念をもたないものを認識の対象から切り捨てるラディカルさをもっている点が特徴的である。こうしたコリンズの議論は、その後の理神論の流れの中で受け継がれていくことになる。今回の報告では、コリンズの『エッセイ』のテキスト分析を主に行ったが、コリンズの議論の同時代的な意味について掘り下げていくことが今後の課題となる。




2022年3月10日

第24回研究会の報告

  

第24回イングランド啓蒙研究会

2022/2/26 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、また、日本イギリス哲学会第46回研究大会(2022年3月19-20日)でのセッションの発表準備も兼ねて、以下の3名が研究発表を行った。


内坂翼「ジョン・ロックの認識問題 実体論の展開」

 本報告では、ロックの「実体(Substance)」の観念に対し、感覚経験と理性という二つの側面からアプローチし、アリストテレス主義に基づいた旧来のスコラ哲学の実体概念を、初期近代のロックがどのように解体していったのかを論じた。

 『人間知性論 An Essay Concerning Human Understanding』(1689)において、ロックはスコラ哲学者たちに度々言及し、スコラ哲学における論争が人類の知識の発展を阻害してきたことを強調していた。ロックによれば、実体の観念は、それ自身で存在する個別のものを表象する単純観念の集合体である一方で、想定された観念あるいは混乱した観念とみなされていた(Ⅱ, xxi, §6)。複雑観念である個別の実体概念は不明瞭で不可知なものであり、感覚器官による経験と観察から習慣的に想定されているだけの基体として位置づけられることとなる(Ⅱ, xxiii, §3)。

 他方で第四巻では、感覚と反省に代わって「直観(Intuition)」が知識の本来的基礎として位置づけられる(Ⅳ, ii, §1)。知の客観性は、観念のあいだに成立する必然的かつ不変の関係である普遍妥当的規則に担保される。「実体」という存在の一般像においても、外的現実には一定の確固たる不変の構造があるという確信が働くとされる(Ⅳ, vi , §11)。

 本報告では、ロックの実体観念がアリストテレス以来の実体論を批判的に継承しつつ、経験と観察にもとづく近代科学の礎となる実体論を新たに展開しようとしていたという点を考察した。

 報告後の質疑では、ロックの批判対象であったアリストテレスの実体論が議論の対象となった。また、ロックが想定した実体は四種類あり、スティーリングフリートとの論争を踏まえて、実体論と粒子論の関係を明らかにしていく必要性が提起された。



竹中真也「カドワースの人間観 理性のありかたによせて」

 本報告は、カドワースの人間観を、主要著作や遺稿に基づいて、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」というキーワードを軸に検討した。

 『宇宙の真の知的体系』における「形成的自然」は、身体の部分の形成と、全体の有機的統一を目指しているとともに、まばたきや呼吸や心筋の運動などを担う生命活動を支える原理である。これは動物的欲求ともかかわる。『永遠で不動の道徳論』における「知性認識」は、人間が神の精神のうちのイデアの認識活動を分有することによって成立する。とはいえわれわれの知性認識は、神の活動の部分的な限定を受けた模造にとどまる。善悪も、この知性認識に関わる。

 他方で、カドワースは、『自由意志論』を軸とした遺稿において、善と悪について、われわれには道徳的善悪に関する独特の感情ひいては「愛」という「本能」(「優れた理性」とも呼ばれる)があると論じる。なお、この「本能」を発揮するさいに「自由意志」と「恵み」が関与する。

 このようにカドワースは、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」という少なくとも三つの観点から人間を説明する。しかしながら、これらはひとつひとつが切り離されて活動するわけではなく、全体としてひとつである。

 こうした全体的構図において、理性の位置づけを本報告では最後に示した。



中野安章「聖書釈義と自然哲学 W.ウィストンのニュートン主義自然神学」

 自然神学は広い意味では人間の自然理性に基づく神学、より狭い意味ではデザイン論に基づく神の存在証明を指す。しかし、17世紀後半のイングランドで新しい自然哲学と並行して興隆した自然神学には、デザイン論には納まらない種類のものがあり、それはとりわけ地球理論に関わるものに見られる。

 中野による本報告は、ウィリアム・ウィストン(1667-1752)の『地球の新理論 A New Theory of the Earth』(1696)を取り上げ、そこに見られる自然哲学と聖書釈義を結合させる特異な自然神学の新しさと、その意義について検討した。

 ウィストンが『地球の新理論』で目指したのは、聖書解釈という枠組みの中で、創造から終末までの地球史を、聖書の記述の「字義的(歴史的)」意味によって解釈し(この聖書解釈という点で啓示神学の関心と重なる)、しかもニュートンの自然哲学の理論を用いてそれを「哲学的に」説明すること(この点が自然神学である)にあった。

 これはアウグスティヌスの古来よりキリスト教自然神学の枠組みを成した「二つの書物」論、すなわち聖書と自然(理性)の整合性を追求する議論であるが、ウィストンにおいては、「二つの書物」論の自然神学は、聖書解釈の主導権が自然哲学に移されることにより、理性による自然哲学の領域が啓示の領域を侵食し、伝統的な神学的概念の変容を導くことになる。そしてこの点が、「奇跡」概念に関して論じられた。

 報告に続く質疑では、創造や大洪水といった奇跡的出来事を自然学的に説明するという原則を貫くことから帰結する(そしてそれにも関わらず保持される)「奇跡」概念とは何か、またウィストンとトーランド(その『秘儀なきキリスト教』は『地球の新理論』と同年の出版)などの理神論者との違いは何か、といった点について刺激的な議論が交わされ、報告者はそれを通じて論題についてさらに考察を深めることを促された。






2021年11月10日

第23回研究会の報告

 

第23回イングランド啓蒙研究会

2021/11/6 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、会員が研究構想を発表した。


柏崎正憲「労働観の転換と啓蒙 トマス・モアからジョン・ロックへ」

 16世紀において、労働貧民は道徳的劣等者として表象され、そして労働は、度し難い怠け者たちをどうにか秩序に繋ぎとめておくための鎖であった。その一方で、啓蒙と呼ばれる時代には、最下層の賃金労働者をも含めた生産者の勤勉を称え、労働を道徳的同格者たちによる貢献として描き出す著述家たちが現れてくる。このような労働観の転換を、イングランドにおける初期啓蒙の一側面として浮かび上がらせることが本稿の目的である。

 考察の始点と終点には、初期近代において労働を現世的幸福と固く結びつけた二人の代表的思想家、トマス・モアとジョン・ロックが置かれる。モアがその労働者への共感にもかかわらず同時代の労働観を共有しているのにたいして、ロックの宗教観、政治哲学、認識論、教育論、そして政策提言には、新しい労働観が首尾一貫しているのが認められる。『ユートピア』(1516年)と『統治二論』(1690年)とのあいだに生じた変化を解明するために、本稿では人文主義者、共和主義者、そしてピューリタンのテクストもまた扱われる。

 発表に引き続き、意見交換が行われた。ロックの原罪観(労働を原罪に結びつけない)や余暇の考察、彼が成育の過程で天職(calling)の観念をどう受容したか、本稿が扱った労働観の変化が啓蒙思想とどう関連するか、等、筆者の視野を広げるための有益な示唆が与えられた。

An Ease for Overseers of the Poore, 1601. (関西学院大図書館所蔵)


渡邊裕一「啓蒙思想の影? 新大陸におけるロック所有権論の展開を追う」

 渡邊は、17世紀アメリカ植民地政策とジョン・ロックの思想及び実践に関して、先行研究の紹介を中心とする報告を行った。一般に、啓蒙思想というとそのポジティブな側面が強調されがちだが、本報告はあえてそのネガティブな側面に着目した。すなわち、欧州諸国の海外進出とそれに伴う先住民からの収奪等に、啓蒙思想がどのように寄与したのかという論点である。

 本報告では、比較的早い時期にジョン・ロック所有権論とアメリカ植民地政策との関係を主題とした Barbara Arneil, John Locke and America; The Defense of English Colonialism (New York: Oxford University Press, 1996) と、より最近Arneil以降の研究動向も踏まえて著された David Armitage, 'John Locke: Theorist of Empire?,' in Empire and Modern Political Thought, ed. Sankar Muthu (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), pp. 84-111 の内容を紹介した。

 両研究に共通の見解として、次の二点が指摘された。第一は、ロック自身がアメリカ植民地政策に強く関わっていたことは疑い得ない事実であること。第二は、イングランドの植民政策とロックの思想のいずれも、植民地拡大で先んじていたスペインやオランダへのアンチテーゼともあいまって、先住民からの収奪は意図しておらず平和的な植民を目指していたということである。これは、ロックの植民地に関する思想と実践を、短絡的に帝国主義に結びつけることを否定する見解である。

 そのうえで渡邊からは、ロックがアメリカ先住民との平和的関係を志向したことが啓蒙思想の「影」の要素を和らげるとして、彼がアフリカでの奴隷貿易を容認していたことはネガティブな評価を免れ得ないのではないかとの指摘がなされた。

 その後、質疑が行われ、ロックの戦争状態論や刑罰論と収奪正当化の論理的関係、グロティウス『捕獲法論』に関する論点、様々な思想家による植民地論を俯瞰したときのロックの位置づけ、ロックを読んだ後世の思想家と(独立宣言までの)植民地政策との関係等について議論が交わされ、この主題を深度化させるための方向付けと論点整理が図られた。


 



2021年8月17日

第22回研究会の報告


第22回イングランド啓蒙研究会

2021/8/1 オンライン


 前半

 科研費課題の研究成果(論文集)の原稿準備のため、順次、会員が研究構想を発表することを前回会合で決定していた。

 それにもとづき今回は、青木が「イングランド実験哲学の流れ 王立協会、知識論、アイルランドへの影」と題した研究発表をおこなった。

 発表の目的は、初期啓蒙における<平明性>の出自、定式化、伝播を辿ること、すなわち、誰にでも等しく平明に与えられる感覚的な<経験>こそ真理の最終的な拠り所であるというテーゼが受容される過程であった。これを発表者は、イングランド実験哲学の興隆によって始まり、次世代のアイルランドへと伝播していく展望において考察した。

 平明性の理念の出自を示すできごととしては、スプラットによるスコラ学者たちとベーコンの新学問プログラムを実践する王立協会メンバーたちとの対比、グランヴィルの『プラス・ウルトラ』における化学、解剖学、数学の三本柱、そしてボイルによる自然誌の体系化が位置づけられた。次に、ロックが実験哲学の成果をふまえて、どのように経験論の立場を定式化したかが考察された(解剖学的な history から人間知性の history へ、医学的な不可知論から物体や精神をめぐる不可知論へ)。続いて、平明性を旨とする経験論哲学が、モリニュー、トーランド、バークリーといった多彩な思想家たちをつうじて、アイルランドに伝播していく展望が示された。

 発表に引き続き、青木論文の総体的な構想や個々の論点について、活発な意見交換が行われた。一例を挙げると、初期啓蒙における「有用性」という観念が果たした役割(思弁的な scientia から、軍事、航海、測量など「技術」の基礎づけとしての scientia へ)を、どう位置づけ、評価すべきかが議論された。 


Frontispiece to Sprat's History of the Royal Society (1667).


 後半

 フランシス・ハチソン An Essay on the Nature and Conduct of the Passions and Affections, with Illustrations on the Moral Sense (1728/1742) の講読を行った(報告者:柏崎)。

 Treatise I, Section I を精読。ハチソンは「欲望を喚起する」心地悪さ(uneasy sensation)と「欲望に連結した」心地悪さとの区別から、利己的欲望公共的欲望との区別を引き出した。彼によれば、利己的欲望の対象は、私的な善という目的のための手段に引き下げられるのにたいして、公共的欲望は「善意の欲望」であり、欲されることがら自体を目的としている

 この考察をつうじてハチソンが証明しようとしたのは、次のことだと思われる。①人間の内的感官(感受性)は、私的利益を感じる部分と公共的感受性とに、実体的に区別されること。②後者の感受性が喚起する欲望こそが善意(benevolence)であり、それは利己的欲望から完全に独立して作用すること。

 善意が利己心には還元されないと示すために、ハチソンは独立の感官としての「公共的感受性」という想定に所説を基礎づけたが、しかし同時に、それを道徳的サンクション(善き行為への褒賞と悪しき行為への処罰)と両立させた。この点について、理論的には無理を生じさせていないかと、発表者の柏崎は疑問を呈したが、他方で、宗教的観点からの批判を避けるために道徳的サンクションの導入は必要だったのではという指摘もあった。また、理性ではなく内的な欠如から道徳的行為の可能性を導き出す点において、やはりハチソンは画期的な議論を展開したのだという指摘もあった。



2021年6月28日

第21回研究会の報告


第21回イングランド啓蒙研究会

2021/6/27 オンライン


 前半

 本研究会の母体となっている科研費基盤Bの成果報告として、論文集の構想を参加者で議論した。論文集は全体をテーマ別に3部に分け、第1部「平明性」、第2部「自律性」、第3部「寛容性」(あるいは「多元性」)という陣立てを当初念頭に置いていたが、当日参加したメンバーの間の議論で、主に以下のような問題が指摘された。

  1. 扱っている時代や思想家が、イングランドだけでなく、アイルランドやスコットランド、フランスにまで波及しているので、タイトルを「イングランド」としてしまって良いのか。また、時代は何年から何年まで、と区切る必要があるのでは。
  2. 当初の目論見として、この17世紀イングランドの啓蒙思想から、現代人にとって役立つ考え方や、啓蒙思想の「影」にあたる部分を現代的な視点から論じる(例えば、啓蒙は未完のプロジェクトであり、我々にとっての宿題であるといった指摘)、といったアイデアがあったので、是非とも組み入れるべきではないか。
  3. テーマだけではなく、時代的な流れ、という視点もあった方がよいのではないか。

 以上のような問題点を踏まえ、原稿を持ち寄る際、あるいは編集していく際の指針にしていこう、ということでまとまった。


 後半

 フランシス・ハチスン An Essay on the Nature and Conduct of the Passions and Affections, with Illustrations on the Moral Sense (1728/1742) の講読を行った(報告者:柏崎)。

 まず、編者Garretによるイントロダクションを参照しながら、本書の概要(背景や目的)を把握した。

 次に、序文とTreatise I, Section I (Art. I.) に関して、報告者からの発表の後、 特に、ハチスンによる諸々の感覚(道徳感覚を含む)や徳の説明について、ロックやスミス、ストア派、キケロなどとの異同を中心に議論を行い、ハチスンの議論に対する理解を深めた。




2021年6月2日

第20回研究会の報告

   

第20回イングランド啓蒙研究会

2021/4/25 オンライン

 第20回研究会では、前回に引き続き、イングランド啓蒙を理解する上でも重要なフランシス・ハチスンの『美と徳の観念の起源』「第二論文」の報告と検討がなされた。

 第二論文の第一部から第三部までの報告では、道徳的善悪の知覚が自愛心ではなく道徳感覚に由来すること、有徳な行為の源には利害を離れた感情としての仁愛(benevolence = 善意、利他心)があること、行為の道徳性は行為者の仁愛と能力の複合比から利害を差し引いたものによって計られること、という議論が報告された。

 第二論文の第四部から第七部までの報告では、行為の是認が公共性への有用性と仁愛の外観から生じること、仁愛には段階があって近い対象ほど大きくなることがあること、能力・利害・損害・法の知識・絆の強さなどが行為の徳と悪徳の程度に影響を与えること、理性的行為者の最善の状態と最も価値ある幸福が普遍的で効果的な仁愛に見出されること、という議論が報告された。

 これらの報告を踏まえ、benevolenceの適切な訳語、benovolenceと道徳感覚との関係、道徳感覚と美的感覚とのアナロジー、などについて議論がなされた。




2021年6月1日

第19回研究会の報告

  

第19回イングランド啓蒙研究会

2021/2/28 オンライン

 第19回研究会では、前回に引き続き、イングランド啓蒙を理解する上でも重要なフランシス・ハチスンの『美と徳の観念の起源』「第一論文」の報告と検討がなされた。

 ハチスンにとっては「多様性を伴う均一性」に美を見出す感覚は生得的なものだとされるが、この美的感覚が一般的な基準となるかが議論された。ロックにおいて美の多様な嗜好は習慣や教育によって形成されるとされるが、ハチスンは美の対象の好みが多様であることを認めつつ、美の感覚は均一で内在的なものだとみなす。

 美的感覚の生得性・内在性を支える神の存在と性質についても議論のテーマとなった。



2021年5月21日

メンバー紹介 内坂翼


内坂翼(うちさか つばさ)

 専門は哲学史・倫理学・政治思想史。ジョン・ロックの認識論、自由論、所有論、経験哲学、政治哲学、教育哲学などのテーマについて取り組んでいます。ロック哲学の形成過程を分析する上で、イングランドにおけるルネサンス思想、新プラトン主義、キケロ哲学の受容にも関心を抱いています。

 共同研究においては、ロックが想定した「理性的で自由な行為者」という人間像がイングランド啓蒙においていかに展開していったかを考察したいと考えています。


2021年1月27日

メンバー紹介  中野安章

 

中野安章(なかの やすあき)

 専門は、哲学・科学思想史。イングランド、及びアイルランドにおける、17-18世紀の自然哲学に関心があり、主としてGeorge Berkeley の視覚論、その自然学と形而上学との接続に関して研究し、また担当した講義ではBaconやBoyleの実験哲学などを扱ってきました。

 「イングランド啓蒙」をテーマとしたこの共同研究では、政治・倫理・宗教思想も含めて他の方々から学びつつ、特にBacon, Boyle, Whistonを中心に、ボイル講演の設立に至るまでの17世紀イングランド自然神学の形成過程を明らかにしたい(さらに出来ればその後のヴィクトリア時代までの展望も開きたい)と考えています。



2021年1月25日

第18回研究会の報告

 

第18回イングランド啓蒙研究会

2021/1/24 オンライン

 第18回研究会では、前回に引き続き、科研費基盤B「イングランド啓蒙への学際的アプローチ―「開かれた理性」の復権を目指して―」の成果発表論文集について、前回発表を行えなかったメンバーが、担当章の構想発表を行った。各メンバーの発表内容及び啓蒙思想との関係を中心に、主意主義と主知主義、自然神学と理神論、刑罰の効果と功利主義等について、活発な議論が行われた。

  • 啓蒙時代以前の光 ― リチャード・フッカー『教会政治法論』の構造
  • イングランド自然神学の形成 ― 17世紀から18世紀初期までの発展史
  • ロックの刑罰論


 また、イングランド啓蒙を理解する上でも重要なフランシス・ハチスンの『美と徳の観念の起源』について、報告者から、ハチスンの生涯、影響関係、人物像、関連文献等について紹介がなされた後、同著作の序文(特にハチスンの基本的な構想や道具立て)の検討が行われた(「第一論文」の検討は次回)。その中で、ハチスンの美の感覚とロックの生得観念説批判について議論が行われた。