2022年10月2日

第28回研究会の報告

 

第28回イングランド啓蒙研究会

2022/9/25 オンライン

 

 社会思想史学会の第47回大会(専修大学)で、10月15日(土)午前に、本研究会が「イングランド啓蒙」にかんするセッション報告をおこなう。論文集の公刊という目標を念頭におきつつ、イングランドにおける啓蒙とは何であったか、本研究会はいかにしてそれにアプローチしようとしているかということを提示することが狙いである。

 大会概要(社会思想史学会ウェブサイト http://shst.jp/home/conference

 

 この日の研究会では、報告者3名が、社会思想史学会でのセッション報告の草案を発表し、他のメンバーから意見をもらった。

 セッション報告の要旨を、以下に掲載する。

 


 

イングランド啓蒙への視角――平明性、自律性、寛容性

[世話人・司会] 柏崎正憲(早稲田大学・非常勤)
[報告者] 青木滋之(中央大学・非会員)、武井敬亮(福岡大学・非会員)、柏崎正憲
[討論者] 沼尾恵(慶応義塾大学・非会員)

 イングランド啓蒙研究会は、2018年6月に発足し、2019年度からは科研費研究課題にも採択され、精力的に研究活動を続けている(ウェブサイトはhttps://english-enlightenment-f-j.blogspot.com)。社会思想史学会においては、2019年大会でも「イングランド啓蒙における理性行使の徹底化」と題したセッション報告をおこなったが、今回のセッションでは、本研究会の主題それ自体にかかわる基本的な問いを提起したい。すなわち、イングランド啓蒙とはそもそも何か、そう呼ばれるべき思想の特徴や思想家群をどう識別すべきか、イングランド啓蒙なる研究分野は成立しうるのか、という問題である。

 「スコットランド啓蒙に比べてイングランド啓蒙は研究者の間で合意がない」とは、2017年大会のセッション報告にもとづく改稿論文での田中秀夫氏のコメントである(愛知学院大学『経済学研究』第5巻第2号所収)。たしかに、イングランドが初期啓蒙の舞台や啓蒙思想の源泉であったと主張しても反論されないだろうが、イングランド啓蒙が「何であるか」とか「いつはじまったか」とかを決めようとするやいなや、意見は割れるだろう。混乱を避けるためには、まず何を啓蒙と呼ぶかについて合意に至るべきだが、そのこと自体が容易ではない。理性や急進主義といったフランス啓蒙寄りのキーワードによっても、保守的啓蒙などの代案によっても、イングランド啓蒙なるものの特徴を部分的にしか描きえないからである。田中氏が提案したように、その「主流」が「急進」から「保守反動」、再度の「急進」から「穏健」、「保守」へと推移したこと自体に、その特徴を見出すべきかもしれない。

 だが、イングランド啓蒙の「主流」と呼びうるものが何かを見定めるためにすら、なすべきことはまだ多いだろう。本研究会は、共同研究の強みを生かして、多様な専攻分野、多様な視点から、多様な題材にそくして、学際的にイングランドの思想潮流に迫ろうとしている。メンバーの多くが名誉革命以降、ロックと彼以降に照準を合わせていることは否定できないが、しかしモア、フッカー、フィルマー、カドワース等を扱おうとしているメンバーもいる。イングランド啓蒙と呼びうる思想運動の担い手だけでなく、その源泉や敵対者などとして位置づけられるべきかもしれない思想家をも視野に収めているのである。

 本研究会は、イングランド啓蒙が何であるかをはっきり示そうとする志をもつと同時に、それを複数形のenlightenmentsとして把握すべきものと想定している。イングランドという固有名詞は、思想家たちの共通要素を指し示すためというよりも、思想運動の生成および越境のプロセスを際立たせるための呼称である。別言すれば、啓蒙を特徴づける諸理念のいくつかの形成と伝播を説明するためには、思想形成の固有の「場」(Cf. Peter Harrison, ‘Religion’ and the Religions in the English Enlightenment, 1990)としてのイングランドを参照すべきなのである。ただし、この「場」に立ち現れる諸理念や諸言説を、雑然と並べることで事足れりとするつもりはない。イングランド啓蒙を描き出すために本研究会が選んだ三つのキーワードが、平明性、自律性、そして寛容性である。


 

2022年10月1日

第27回研究会の報告

 

第27回イングランド啓蒙研究会

2022/7/24 福岡大学

論文集の原稿準備のため、以下の2名が研究発表を行った。


内坂翼「イングランド啓蒙における自由論の展開」

 イングランドの哲学者ジョン・ロック(John Lock, 1632-1704)は、「理性と判断力を備えた自由な行為者」という近代的人間像を打ち出し、「啓蒙の偉大な先駆者」 (the Enlightenment’s great progenitor)という位置づけを与えられてきた。チャールズ・テイラー(Charles Taylor)が『自我の源泉——近代的アイデンティティの形成 Sources of the Self: The Making of the Modern identity 』で論じているように、ロックが「啓蒙の偉大な教師」となったのは、新たな学知を自我の理性的制御という理論と絡めた上で、理性的な自己責任という理念のもとに、これら二つを統合したからである 。テイラーによれば、自己に対して距離を置いた規律ある態度を強調するロック的な人間像が強い影響力を及ぼし、啓蒙期には軍や病院や学校において官僚的支配や厳密な組織化が進み、規律的な実践が広範囲に発生したのである。

 本発表では、『人間知性論 An Essay Concerning Human Understanding』(1689) の中で「最も複雑な、難解な、かつ重要な章」 であるとされる第二巻第二十一章「力について Of Power」に焦点を当てた。初版において、「自由Liberty」とは障害が欠如した状態で行為者が意志した行為を決定する力であり、意志の選択は「善の外観the appearance of Good」あるいは「より大きい見かけ上の善the greater apparent Good」に左右される、とロックは論じていた。しかし、第二版でこの章は大幅に改訂され、初版で47節あった章が第二版で73節にまで増えて内容も一新されることとなる。

 第二版の改訂において、ロックは「落ち着かなさ」(Uneasiness)、「保留」(Suspension)、「検討」(Examination)、「判断」(Judgement)という視点を導入し、道徳的責任を自己決定の能力と結びつけた。要約すれば、「自由の目的と使用」とは、こうした欲望や落ち着かなさを保留した上で、次の三段階の過程に基づいた判断をすることとなる。(a)まず差し迫った落ち着かなさや眼前の願望をいったん保留し、意志の決定や行為からそれを遠ざける。(b)次に、長期的視点からの幸福あるいは遠くの善を見据えた上で、知性が他の選択肢を比較検討し熟慮する。(c)目の前にある落ち着かなさや欲望を統御し熟慮した上で、行為者の善を最大化する行為を判断する。

 報告に対する応答や質疑では、ロックの自由論の執筆意図や改訂意図を探るための書簡研究や『人間知性論』草稿研究の必要性、ロックの自由論改訂に影響を与えたとみられるカドワースの自由論草稿とのさらなる詳細な比較検討の必要性、自由論とイングランド啓蒙の関係などが議論の対象となった。



田子山 和歌子「啓蒙時代以前の光 リチャード・フッカーにおける理性主義」

 イングランド啓蒙の特質である〈理性主義〉とはどんなものだったか。

 この問題の考察の一環として、本発表では、イングランド啓蒙の源泉のひとつと思われる、アングリカニズム(イングランド国教会主義、英国教会主義ともいわれる)に焦点を当て見ていった。なかでも、本発表が中心としたのは、アングリカニズムの立役者のひとりである、16世紀末の思想家リチャード・フッカーの〈理性主義〉を、同時代のピューリタンの啓示・聖書主義と比較しつつ見ていくことである。それは、フッカーの場合も、近代の啓蒙主義の場合も、おなじく〈理性主義〉を掲げていながらも、啓示・聖書主義にどう対峙するかによってかなりの差があるからにほかならない。

 結論から言えば、近代啓蒙主義における理性は、啓示や聖書といった、理性を超えた超自然的・神秘的な真理を、〈批判〉することによって、自らに対立する非合理的なものとして排除するが、フッカーにおける理性は、啓示・聖書を〈批判〉対象にすることはなく、啓示・聖書を排除することはない。むしろ、フッカーにおいて、理性と啓示・聖書は〈補完〉ないしは〈受容〉関係にある。それは、フッカーにおいて、理性は、神秘的領域という真理も受け入れるほどの広大な真理受容機能をもつことで、理性は、聖書や啓示を孤立した知の体系として排除することなく、聖書や啓示と補完しあうことで、聖書や啓示を知のネットワークの一環として取り込んでいく傾向を持つのである。

 本発表では、こうしたフッカーの理性観の特徴を、フッカーと同時代の、おなじくアングリカニズムを支えた一翼であった、ピューリタンの啓示・聖書主義とも対比することで明らかにした。

 ピューリタンの啓示・聖書主義においては、理性は排除されるべきものであり、フッカーと対照的だった。しかしながら、このように対照的な関係にありながらも、フッカーの理性主義は、一方で、ピューリタンの啓示・聖書主義と、共通の人間観、すなわち、人間は完全に堕落しており、理性も無力であることから、人間は決して自力では救済が望めないのだとする、アウグスティヌス以来の〈全的堕落〉の人間観を共有していたのである。聖書や啓示のような神秘的真理も、すべて受容して、知のネットワークの一環として取り込んでいくのだとする、フッカーの〈理性主義〉も、そのような真理を自力では推論を通じて把握することはできないという、理性の無力を認めたところからでてくるものだからである。

 このようにフッカーの理性主義は、同時代のピューリタンの啓示・聖書主義と対照的な関係にありながらも、一方で、理性と啓示、自然と恩寵といった問題意識を共有しつつ、アングリカニズムをともに形成していったといえる。

 こうしたアングリカニズムの観点は、イングランド啓蒙の特質を見るうえでも、また、イングランド啓蒙と従来の近代啓蒙主義との関連を見るうえでも、欠かせないものとなろう。なぜなら、理性と啓示、自然と恩寵という問題は、アングリカニズムにも、イングランド啓蒙においても、途切れることなく流れているからである。

 イングランド啓蒙につらなる諸思想家からすれば、それぞれにとって理性とはどのようなものだったか、あるいは、啓示・聖書とはどのようなものだったか。これらを見るうえで、アングリカニズムの二大潮流である、ピューリタンの啓示・聖書主義と、フッカーの理性主義は、おおきな参照枠になることはたしかである。すくなくとも、イングランド啓蒙の姿を、洞窟の中に浮かぶ影のように浮かび上がらせる〈光〉になるのではあるまいかと、期待されるのである。