2022年3月10日

第24回研究会の報告

  

第24回イングランド啓蒙研究会

2022/2/26 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、また、日本イギリス哲学会第46回研究大会(2022年3月19-20日)でのセッションの発表準備も兼ねて、以下の3名が研究発表を行った。


内坂翼「ジョン・ロックの認識問題 実体論の展開」

 本報告では、ロックの「実体(Substance)」の観念に対し、感覚経験と理性という二つの側面からアプローチし、アリストテレス主義に基づいた旧来のスコラ哲学の実体概念を、初期近代のロックがどのように解体していったのかを論じた。

 『人間知性論 An Essay Concerning Human Understanding』(1689)において、ロックはスコラ哲学者たちに度々言及し、スコラ哲学における論争が人類の知識の発展を阻害してきたことを強調していた。ロックによれば、実体の観念は、それ自身で存在する個別のものを表象する単純観念の集合体である一方で、想定された観念あるいは混乱した観念とみなされていた(Ⅱ, xxi, §6)。複雑観念である個別の実体概念は不明瞭で不可知なものであり、感覚器官による経験と観察から習慣的に想定されているだけの基体として位置づけられることとなる(Ⅱ, xxiii, §3)。

 他方で第四巻では、感覚と反省に代わって「直観(Intuition)」が知識の本来的基礎として位置づけられる(Ⅳ, ii, §1)。知の客観性は、観念のあいだに成立する必然的かつ不変の関係である普遍妥当的規則に担保される。「実体」という存在の一般像においても、外的現実には一定の確固たる不変の構造があるという確信が働くとされる(Ⅳ, vi , §11)。

 本報告では、ロックの実体観念がアリストテレス以来の実体論を批判的に継承しつつ、経験と観察にもとづく近代科学の礎となる実体論を新たに展開しようとしていたという点を考察した。

 報告後の質疑では、ロックの批判対象であったアリストテレスの実体論が議論の対象となった。また、ロックが想定した実体は四種類あり、スティーリングフリートとの論争を踏まえて、実体論と粒子論の関係を明らかにしていく必要性が提起された。



竹中真也「カドワースの人間観 理性のありかたによせて」

 本報告は、カドワースの人間観を、主要著作や遺稿に基づいて、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」というキーワードを軸に検討した。

 『宇宙の真の知的体系』における「形成的自然」は、身体の部分の形成と、全体の有機的統一を目指しているとともに、まばたきや呼吸や心筋の運動などを担う生命活動を支える原理である。これは動物的欲求ともかかわる。『永遠で不動の道徳論』における「知性認識」は、人間が神の精神のうちのイデアの認識活動を分有することによって成立する。とはいえわれわれの知性認識は、神の活動の部分的な限定を受けた模造にとどまる。善悪も、この知性認識に関わる。

 他方で、カドワースは、『自由意志論』を軸とした遺稿において、善と悪について、われわれには道徳的善悪に関する独特の感情ひいては「愛」という「本能」(「優れた理性」とも呼ばれる)があると論じる。なお、この「本能」を発揮するさいに「自由意志」と「恵み」が関与する。

 このようにカドワースは、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」という少なくとも三つの観点から人間を説明する。しかしながら、これらはひとつひとつが切り離されて活動するわけではなく、全体としてひとつである。

 こうした全体的構図において、理性の位置づけを本報告では最後に示した。



中野安章「聖書釈義と自然哲学 W.ウィストンのニュートン主義自然神学」

 自然神学は広い意味では人間の自然理性に基づく神学、より狭い意味ではデザイン論に基づく神の存在証明を指す。しかし、17世紀後半のイングランドで新しい自然哲学と並行して興隆した自然神学には、デザイン論には納まらない種類のものがあり、それはとりわけ地球理論に関わるものに見られる。

 中野による本報告は、ウィリアム・ウィストン(1667-1752)の『地球の新理論 A New Theory of the Earth』(1696)を取り上げ、そこに見られる自然哲学と聖書釈義を結合させる特異な自然神学の新しさと、その意義について検討した。

 ウィストンが『地球の新理論』で目指したのは、聖書解釈という枠組みの中で、創造から終末までの地球史を、聖書の記述の「字義的(歴史的)」意味によって解釈し(この聖書解釈という点で啓示神学の関心と重なる)、しかもニュートンの自然哲学の理論を用いてそれを「哲学的に」説明すること(この点が自然神学である)にあった。

 これはアウグスティヌスの古来よりキリスト教自然神学の枠組みを成した「二つの書物」論、すなわち聖書と自然(理性)の整合性を追求する議論であるが、ウィストンにおいては、「二つの書物」論の自然神学は、聖書解釈の主導権が自然哲学に移されることにより、理性による自然哲学の領域が啓示の領域を侵食し、伝統的な神学的概念の変容を導くことになる。そしてこの点が、「奇跡」概念に関して論じられた。

 報告に続く質疑では、創造や大洪水といった奇跡的出来事を自然学的に説明するという原則を貫くことから帰結する(そしてそれにも関わらず保持される)「奇跡」概念とは何か、またウィストンとトーランド(その『秘儀なきキリスト教』は『地球の新理論』と同年の出版)などの理神論者との違いは何か、といった点について刺激的な議論が交わされ、報告者はそれを通じて論題についてさらに考察を深めることを促された。