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2020年3月15日

書評 Goldie 1999, Introduction to The Reception of Locke’s Politics (柏崎正憲)


Mark Goldie, Introduction to The Reception of Locke’s Politics (Vol. 1, Pickering & Chatto, 1999)
柏崎正憲 (東京外国語大学)

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 全6巻、合計2,000ページ以上にわたる、マーク・ゴルディ編集の本選集は、ロックの政治思想を批評、解説、援用、流用、非難などした、1690年代から1830年代までの80以上のテクストを、主題別に収録、紹介している。同書に登場する著者たちは、いくつもの世代から幅広く集められているのみならず、主題においても非常に多様である。公刊して間もない『統治二論』を無断引用しつつ人民の抵抗を擁護した『政治箴言集Political Aphorisms』(1690年)から、フランス革命後にロックを参照しつつ名誉革命の原理を再定義したロバート・ウォード(1838年)まで。あるいは、アイルランド議会の独立を擁護するためにロックを援用したウィリアム・モリニュー(1698年)から、ロックが人民権力を擁護していないと証明するために『統治二論』の注釈書を刊行したトマス・エルリントン(1798年)まで。1

 本選集はすでに刊行から20年以上が過ぎているし、テクストの選定と編集の方針についても問題がないわけではない。だがそれでも、ゴルディがロック政治思想の受容史の見取り図を提示したことの功績は大きい。本選集の水準をアップグレードするような類書はいまだ表れていないどころか、いまだにロック政治思想の受容過程は「復元がきわめて困難exceedingly hard to recover」だと言われている。2 そうだとすれば、本選集を紹介する価値は、今でも十分にあるだろう。本稿では、ゴルディの序論を比較的詳しく要約したうえで、ロック政治思想の受容史に迫る方法にかんする考察を加える。なおゴルディ序論のページ番号は、ローマ数字でふられているが、引用のさいにはアラビア数字に置き換える。3


1 ゴルディ序論の要約

 ロック政治思想の広範な影響、聖像としてのロック(pp. 17-20)
 ゴルディが本選集に込めた狙いは、ロックのいわばウィッグ主義的な聖像化と修正主義的な周縁化との双方を脱するために、彼の『統治二論』が「しだいに政治哲学の「古典」になっていった過程」(p. 18)を証拠づけることにある。ゴルディをまたずとも多くの研究者たちは、未公刊資料を含む豊富な一次文献により裏づけられた修正主義的研究(後述)を通過しながら、政治思想史におけるロックの重要性を新たな諸側面から解明してきた。しかしながらゴルディの序論は、パンフレットや学問的著作のみならず、記念碑、図像、風刺画など、多種多様な史料を紹介してくれる点で、今でも興味深く有益といえる。

 まずゴルディは、ロックが「啓蒙期の政治的論争のほぼすべてに巻き込まれていた」(p. 18)ことを強調する。自然法と社会契約、権力分立と国制の均衡、市民的不服従、家父長主義、宗教的寛容と教会権力、所有権など、ロック研究者になじみ深い主題に留まらず、参政権、帝国と植民地、連邦、移民、先住権、さらには初期社会主義といった、意外な主題にすらロックが結びつけられてきたことをゴルディは確認している。

 その影響力の拡大に並行して、ロックが聖像とされていった過程を、ひきつづきゴルディは豊富な事例によって提示する。1740年代、ストウ庭園にアルフレッド大王やニュートンとならんで設立されたロックの胸像。1784年、ヘヴェニンガム・ホールの図書館に、ホメロス、シェークスピア、ドライデン、ヴォルテール等とならんで飾られた、ロックの肖像メダル。晩年のロックの有名な肖像画(クネラー作)が18世紀のうちに普及したこと。ジェイムズ・トムソンやアイザック・ワッツの詩におけるロックへの賛辞。こうした作品やシンボルを実際に参照してみることも興味深いだろう。4

 ロックの脱中心化(pp. 20-30)
 19世紀半ば頃までには「ウィッグ哲学の体現者」としてのロックおよび「名誉革命の精神と教義」としての『統治二論』という評判が確立された(p. 20)。こうした正統派のロック像は、レズリー・スティーヴン、アレクサンダー・リンゼイ、ジェラルド・クラッグといった学界の重鎮たちにより、20世紀半ばまで維持される。5 ところが、1960年代末からの修正主義の潮流――ゴルディが挙げるその筆頭はもちろんダンとポーコックである――によって、ロックの存在感は「つかみどころがなく移ろいやすいelusive and fugitive」ものとなった。

 修正派の研究者たちが提起した論点を、ゴルディは七点にまとめている。

  1. ラズレットが『統治二論』校訂版(1960年)において、同書の執筆年を1679-81年と推定し、同書の文脈を名誉革命から王位排斥法危機へと位置づけなおしたこと。
  2. ロックが匿名を保ったために、彼の生前には『統治二論』の影響が限定的だったこと。
  3. 『統治二論』をめぐる本格的な論争が1770年代まで始まらなかったこと。
  4. 名誉革命やウィッグ主流の実際の性格が、政府の解体、人民に由来する権力といった『統治二論』の教説からは程遠かったこと。むしろ革命後のイングランドにおいても、トーリー、王党派、家父長主義が影響力を長く維持したこと。トーリーの伝統に属するメアリ・アステルがロックの矛盾を指摘するために書いた「すべての人間/男menが生来自由だとしたら、どうしてすべての女は生来奴隷になるのか」という一節に、ここでゴルディは注目を促している(p. 25)。6
  5. ロックが『人間知性論』により得た名声が『統治二論』の名声に直結しないこと。
  6. ロックのステレオタイプ化は後年のウィッグの意図的戦術の産物であり、しかも彼はシドニー、ミルトン、ハリントンといった他のウィッグの英雄と並ぶ一人にすぎなかったこと。
  7. 18世紀イングランドの政治的言説を、自然法や社会契約論よりも、人文主義や共和主義から、あるいはトーリーの生存戦略から説明することが、現代において主流の研究動向になっていったこと。

 ロック、ふたたび中心へ(pp. 30-49)
 しかしながらゴルディは「ロックの遍在性と周縁性との二者択一」を迫られる必要はないと宣言する。ロック政治思想の歴史的なインパクトを適切に描きなおすための諸根拠を、ゴルディは手際よく整理している。この部分こそ彼の序論の本領発揮である。

 ゴルディによれば『統治二論』がロックの生前にもった影響力は、修正派の想定よりはるかに大きかった。1690年代、同書は先進的ウィッグのあいだで称賛され、コーヒーハウスでの議論の一主題となった。『統治二論』の名声を決定的に高めたきっかけは、1701年、ケント州の5名のジェントルマンによる庶民院への請願であった。彼らが扇動のかどで逮捕されたことをきっかけに、ジャコバイト主義から距離をとりつつ「議会における王冠」の主権を主張するトーリー陣営と、議会の至上権を人民主義的に擁護するダニエル・デフォーやジョナサン・スウィフトらウィッグ陣営との論争が引き起こされた。そのなかで『イングランド人民の権利Jure Populi Anglicani』の著者――ロックのパトロンのサマーズ卿と推察される――は『統治二論』の「学識深く才知に富んだ著者」の字句を復唱しながら、人民の請願の自由を擁護したのである。その数年後、ロックが世を去って間もないころから『統治二論』がトーリーによる批判の標的となっていたことも、同書の名声を逆の側から証明している。ここでゴルディは、1709年の風刺画にも目を留めている――その絵はウィッグの低教会派聖職者ベンジャミン・ホードリーを攻撃するものだが、彼の蔵書の一冊にはLocke on Governmentと標題が書き込まれていたのである。7

 18世紀をとおして『統治二論』は、恣意的統治を批判し人民の立憲的権力に訴える書として読まれつづけた。同書を無断引用した『政治箴言集』(1690年)は、1710年には『民の声は神の声Vox populi, Vox dei』として、さらにその後は『全王国の判断The Judgement of Whole Kingdoms』として、標題を変えながら改版された。このパンフレットの匿名の著者は、ロックの字句を逐語的に引用しながら、不正な統治にたいする人民の抵抗を歴史的、国制論的なしかたで擁護している。1716年、国王の議会不招集を防ぐための三年議会法(1694年)が七年議会法へと置き換えられようとしたとき、ジョン・スネルは庶民院で、ロックを引用しつつ、みずからの義務を怠る議会を批判した。1760・70年代には、カムデン卿もまた同じようにロックを議会演説に活用している。

 政治教育の書としても『統治二論』は普及していった。同書は「判断を誤った忠誠問題の論稿」ではなく「知的な清潔さを鍛える野心的な学問的訓練an ambitious academic exercise in intellectual hygiene」として受容されたのである(p. 34)。名誉革命後のウィッグにとって、フィルマーの家父長制論の論駁はなおも課題でありつづけた。ウィッグ派のジェントルマンたちは、子弟をオックスフォードやケンブリッジに送るのを避けるようになった。こうした傾向にともなう変化として、政治教育がスコットランドの大学や非国教徒のアカデミーでカリキュラムに組み込まれていった。そのような流れのなかで、1695年にはエディンバラの法曹会図書館(Advocates Library)が『統治二論』の購入を推薦した。グラスゴー大学では、同書はカーマイケルによりプーフェンドルフのテクストの副読書として、さらには後任のハチソンにより道徳哲学の教科書として採用された。非国教派のアカデミーでも『統治二論』は1700年代のうちに普及した。

 1760年代以降、ロックが英米の政治的論争において中心的役割を果たすようになることは、修正派によっても否定されていない。これについてもゴルディは関連するテクストや論争、政治的事件などを豊富に紹介しているが、この部分については本稿では省略することにする。

 社会主義的に解釈されたロックという意外性あるテーマについても一瞥しておきたい。ここでゴルディが挙げるテクストは、トマス・スペンス『人間の権利』(1775年)、ジョン・セルウォール『自然の権利』(1796年)、トマス・ホジスキン『自然的および人為的所有権Natural and Artificial Right of Property』(1832年)である。ホジスキンにおいては、資本主義という新たな造語が「ロックの原理に反する」(p. 37)経済様式を指すものとして用いられていた。とはいえ、ロックに依拠しつつ土地の共同利用権を提唱したセルウォールに見られるように、この時期の社会主義的な解釈者たちがロックの教説に見出した理想社会は、農本的社会、自足的な家政、小生産者の共和国といった、伝統的なビジョンをなおも色濃く反映していた。

 ロックの批判者の側に生じた変化にもゴルディは留意している。アメリカ革命とフランス革命の時期にはロック批判もまた隆盛したが、その言説のなかにゴルディは、トーリー主義の復活から近代保守主義への移行を読み取る。その一方で、英国人のフランス革命への敵意が高まるにつれ、ロックは「対抗啓蒙の犠牲となった」。関連するできごととしてゴルディは、1794年、急進派の靴職人ハーディらを反逆罪に問うた裁判でロックは扇動者か否かが議論されたことや、1815年におけるロックの「二度目のオックスフォード追放」(クライストチャーチ・ホールからの彼の肖像画の撤去)に言及している(p. 39)。

 ロックは『統治二論』のみならず『人間知性論』や『寛容書簡』や経済にかんする諸論稿においても政治的・社会的インパクトをもった。1690年代なかば以降、彼の『知性論』は反三位一体説やエピクロス主義的無神論に傾倒する異端の教説として攻撃されたが、その対極にはロックの盟友ティレルをはじめとして、ロックに自然権理論とストア派的またはキケロ主義的な公共道徳との結合を見出す思想家たちもいた。教会と国家をめぐる諸論争においても、一方では高教会派がロック的寛容論を1689年寛容法とともに敵視していたが、他方ではマシュー・ティンダル『キリスト教会の権利』(1706年)におけるロックの理神論的解釈や、クエイカーを含む非国教徒によるロックの援用の伝統があり、そしてこれら両極のあいだで、国教会擁護やカトリック不寛容論(ただし宗教的理由ではなく政治的理由に根拠を置くもの)など、多種多様な立場がロックから引き出された。同時代にもっとも大きなインパクトを与えたロックのテクストは銀貨改鋳をめぐる彼の著作であったが、経済政策の分野においてもロックの影響は決して一義的ではなく、彼の著作はときにトーリーのウィッグ批判の武器としても使われた。

 このようなロック政治思想の影響の多面性と多義性を、ゴルディは「英語圏の啓蒙期における政治的言語の多様性」(p. 45)に結びつける。ロックの自然法学は、たしかに権利中心的、個人主義的と特徴づけることができるけれども、しかしキケロ的義務論、古来の国制論、市民的人文主義、共和主義といった言説と融合可能であったし、思想史の諸局面において実際に融合したのであった。ゴルディはまた「党派横断的な折衷主義」(p. 46)にも、すなわち、ウィッグ主義の財産と見なされがちなロックの政治理論が、ときにトーリーやジャコバイトにすら援用可能な知的遺産であったことをも強調している。

 以上の考察からゴルディが引き出すのは、彼が「意図主義の誤謬intentionalist fallacy」(p. 47)と呼ぶものへの戒めである。いわく、ロックの受容史の研究は、ロック自身が彼のテクストに込めた意図の追跡である必然性はない。むしろ啓蒙期の政治思想史を研究する者は、18世紀における多様なロックの読解を、もっと寛容に、それ自身の権利をもつ知的現象として扱うべきだ。そのようなアプローチによって、なぜ『統治二論』が「宗教改革期の敬神的反乱の終点」のみならず「啓蒙的リベラリズムの始点」にもなりえたのかを明らかにすることができる。

 アメリカのロック(pp. 49-59)
 ロックの聖像化から彼の政治思想の周縁化へというパターンは、アメリカ史の分野にも妥当する。ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統』(1955年)に代表される、ロック主義の実現としてのアメリカ革命というビジョンは、やはり1960年代以降、修正派により覆された――アメリカ的自由のイデオロギー的源泉を市民的共和主義に見出したバーナード・ベイリンやゴードン・ウッド、そしてふたたびポーコック、等々の研究者によって。それと並行して、スコットランド学派やコモンロー法学などが革命期アメリカにもたらした多様な知的遺産もまた注目されるようになった。このことについてゴルディは、修正派が想定する(市場主義的ないし個人主義的な)自由主義と(共同体主義的な)共和主義との鋭い対立という枠組が、アメリカにおいては概して疎遠なマルクス主義の伝統に頼ることなく、ハーツ流の「ブルジョワ的、快楽主義的、利己的、自由主義的ロック」からアメリカを解き放つために役立ったと指摘する(p. 54)。

 これにたいしてゴルディは、修正派以降、ロックの著作――『統治二論』のみならず宗教論、寛容論、経済論をも含めた――がアメリカ革命史に及ぼした影響がふたたび重視されるようになったことを強調する。とくにゴルディは、建国期のアメリカ思想のなかにロックを位置づけなおすことに、二つの論点が寄与したことを確認している。第一に、古い政府を離脱し新たな政府を創設する自由をロックが支持したこと。第二に、ロックによる所有権および個人主義の擁護が「快楽主義的なエゴ〔の無条件の肯定〕よりも豊かな道徳哲学」(p. 59)に根拠づけられていること。


2 ロック政治思想の受容史をめぐる方法論的考察

 こうしてゴルディは、ロック政治思想の受容史をなす多種多様なテクストを編集しただけでなく、この歴史の簡にして要を得た見取り図を提供したのだった。彼の方法もまた簡潔で明快である。テクストそれ自体の意味やロック自身がそれに込めた意図を留保して、さまざまな解釈をそれ自身の資格において評価するという原則に、ゴルディは依拠している。以下では、このような受容史の方法について考察を加えたい。

 ダンの書評
 ゴルディの博識の産物である本選集について、その編集方針を講評することは、未熟な本稿筆者の手に余る。この務めについては、ジョン・ダンによる書評を紹介しつつ、さらに筆者が若干のコメントを加えることをもって代えたい。8

 本選集にダンが下す評価は、全体的に辛口である。ダンはゴルディの学識と、ロックのような大思想家が後世にもたらしたインパクトの把握という「きわめて苛酷な」課題に彼が挑んだことの意義とを認めつつも、しかしそれが適切な方法によって導かれていないために、本選集の価値が損なわれていると見る。ダンの批判は、テクストの選定および編集の方針にかんするものと、ロック政治思想の受容史に接近する方法にかんするものとに分かれる。

 ゴルディのテクスト選定の偏り、すなわち英語圏の著作への限定や、スコットランドの自然法学的著作の相対的無視については、特定の編集方針をとるかぎり避けられない問題としてダンは大目に見る。だが、より厳しく指摘されている問題もある。各巻がなかば主題別に編集されているのに、ゴルディの序論が巻構成に対応しておらず、しかも巻ごとの導入も欠けている。さらには、各巻の水準の隔たりもある。ダンいわく、最初の二巻の資料的価値はじゅうぶんに高いが、アメリカ革命期におけるロックの受容を扱う第3巻は、他のアメリカ革命の史料集と競うほどの水準に達していない。また、最初の四巻がそれぞれの主題(名誉革命の擁護、家父長主義と社会契約、アメリカ革命、フランス革命)をめぐる歴史的運動を記録しているのにたいして、第5巻と第6巻は、それぞれの主題(宗教論および経済論)とそうした歴史的運動との関連性が見えてくるようには編集されていない。

 これらの指摘には説得力がある。とはいえ、ゴルディがみずから断っているように、本選集の限界のいくつかはやむをえず設けられたものである。たとえば英語圏の著作への限定については、大陸におけるロックの受容にかんする知見が公刊当時において(今なおと付言すべきかもしれないが)限られていることが理由に挙げられている(p. 12)。他方でゴルディによれば、ロック政治思想の受容について「信頼できる著作リスト」を作成することには特有の困難があった。たとえばホッブズについて同じことをする場合とは異なり、ロックの政治論を論じたことを標題に示している18世紀の著作は「半ダース」ほどしかない。ほのめかし程度の言及や、剽窃といったやりかたでロックを扱っているにすぎない著作すら多いが、本選集はそうしたテクストも掲載しているのである(p. 11)。こうした困難な条件のもとで全6巻の選集を編んだことだけでも、ゴルディの功績は強調されていいだろう。

 他方で、ゴルディが序論においてロック政治思想の受容史を提示する方法にかんしては、ダンが下す評価はより厳しい。彼によれば、読者の知的興味を喚起しえているかという観点から見て、ゴルディの選集はテクストおよびその位置づけかたにおいては成功しているが、それらの「方法論的な処方せん」を示すべき序論においてはさほどうまくいっていない。さらにダンは、ロック政治思想の受容をめぐる従来の研究全般の限界へと話を発展させる。いわく、思想の受容史という困難な主題に取り組むには「適切な方法の選択と展開」が必要であるが、しかしロックの受容にかんする「知識の進歩」は、その大部分が「一連の方法論的正典ゆえに」というよりも、むしろそれら「にもかかわらず」達成されたものであった。とくに「同じ自然言語の中にあると思われる語彙からたまたま構成された、閉鎖的で相互に隔絶された「言語」のなかで政治的論争が習慣的に行われる」という想定は「はなはだしい不適切さ」を呈している。結局のところ「真の難題は、いまだテクストそれ自体のなかにある」。ここ40年(1960年代から世紀末まで)のあいだに解明が進んだのは、ロックの政治学的著作にたいする後継者たちの応答の「しかた」についてであるが、しかし「なぜ」後継者たちがそのように応答したかは、いまだ分かっていないのである。

 語り口の回りくどさと紙幅の短さとがあいまって、ここでダンが何を標的にしているかは掴みにくい。彼がゴルディの方法に不満を感じたであろうことは容易に推察できる。先に見たように、ゴルディは「意図主義の誤謬」を避け、後継者の多様な解釈をそれ自身の権利において扱うことを提唱していた。ところが著者の「意図」は、ゴルディやダンが属するケンブリッジ学派のコンテクスト主義的読解の要をなすはずである。それをあえて考慮の外に置くべしというゴルディの指針は、ケンブリッジ学派が要請する方法論的な厳密さの放棄とも取られかねない。しかしながら、ダンはコンテクスト主義にそぐわない方法だけを批判のやり玉に挙げているわけでもなさそうである。政治的論争を特定の「言語」の内部における「習慣的」実践として扱うことを不適切と非難するさいには、彼はむしろ、ある種のコンテクスト主義的アプローチ、すなわちクエンティン・スキナーの言説分析の手法を念頭に置いているように見える。ゴルディもまた序論において、自然法学、市民的人文主義、共和主義など、さまざまな政治的言説のタイプを参照しているが、ダンはそのように類型化された諸言説を文脈として設定する方法からは距離をとっている。9 そう解してよいとすれば、思想の受容史を研究するための適切な方法はいまだ誰にも見出されていないと、ダンは主張していることになる。

 ロックの政治思想がいかに受容されたかを叙述するだけでなく、なぜそのように受容されたかを理解することは、ダンが言うように、たしかに真の課題であると言えよう。しかし、ゴルディの手法またはその他の研究方法が、後者の課題にかんして「不適切」だとして、ダンは可能な代案をまったく示していない。少なくとも受容史の叙述という目的のためには、ゴルディの方法、つまり著者の意図を留保し、受容の諸事例をそれ自体として尊重することは適切であるように見えるし、異論の余地を残さない自明の指針だとすら言える。受容史において「いかに」を問うことと「なぜ」を問うことは、対立させるべきではないだろう。しかしダンはそうしているように見えるし、またそれゆえに、そもそも彼のコメントはゴルディの狙いとは噛み合っていないという印象を与える。

 受容史の叙述から理解へ
 それでは、思想の受容史の叙述から理解へと進むために、どのような方法を選ぶべきだろうか。あるテクストがいかに受容されたかを問うさいには、テクストの著者の意図とその読者の意図とが矛盾するとしても、後者がつねに優先されるべきだろう。他方で、なぜそのようにテクストが読まれたかを説明するさいには、読者の意図をひきつづき尊重すべきであるにせよ、それを著者の意図と関連づける必要もまたあるのではないか。あるテクストが、ある読者の意図によって新しい意味を付与されたと判定しうるのは、先行する意図と意味づけとの比較をつうじてでしかないからである。

 だとすれば、ゴルディのいう「意図主義の誤謬」を避けつつも、思想の受容史において著者の意図を適切に扱う方法を明確にせねばならない。そのためには、この主題をめぐるケンブリッジ学派内部における意見の相違に多少なりとも分け入らざるをえないだろう。この学派に属する研究者たちは、思想的テクストの読解をコンテクストまたは著者の文脈依存的な意図へと根拠づけるための方法を洗練させたが、しかし何を「文脈」として扱うかについては、彼らのあいだで意見は異なる。スキナーにとって文脈とは、ある時代と場所に固有の言語的またはコミュニケーション的な「慣習conventions」であり、ある著者はそれに沿って「ある意図をもった伝達行為」に関与する。10 スキナーが言説分析に向かうのにたいして、ダンは文脈という語で、むしろ一思想家の伝記的要素をも含んだ「経験」を、すなわち、その精神活動の通時的過程を想定する。11

 言説的慣習としての文脈に接近するスキナーの方法を応用する場合には、著者および読者が文脈づけられている意味伝達の慣行の差異を明確にしたうえで、テクストの受容過程を文脈の変化または断絶に関連づけながら理解する、という研究手続が考えられる。著者自身の意図は、あくまで非特権的な一材料として扱われるかぎりで、解釈をそれ自体として尊重するという受容史の原則には抵触しないだろう。このアプローチは、著者の言説的慣習と読者のそれとに相当の隔たりがある場合に、より有効であると思われる。たとえば前出のホジスキン『自然的および人為的所有権』(1832年)は、ロックのプロパティ理論をもって労働者の権利を擁護する試みである。ホジスキンによれば、ロックの自然的所有権とベンサムおよびミルの人為的所有権との対立は、労働者の大義と資本家の利益との対立を代表している。これは、資本と労働の対立という観念をもったはずのないロック自身にとってのみならず、ロックの所有権論をむしろ財産階級の擁護として解釈することに慣れた現代の読者にとっても、相当に意外な解釈といえよう。このような意味づけ差異の背後には、ロック、ホジスキン、現代の読者のそれぞれが属するところの、異なる意味伝達の慣行が控えているはずである。

 その一方で、著者の個人的な精神活動の文脈にクローズアップするダンの方法は、テクストを著者のパーソナリティと密接に関連づけることにより、著者の意図を特権的に扱うものであるように見える。しかしながらダンのアプローチもまた、非意図主義的な受容史研究に応用可能である。ただしそのためには、ダンの方法によって、彼がロックに見出そうとする特定の意味だけが引き出されるわけではないことを認めることが必要である。

 ダンは個人の精神史を重視するが、しかし個人の思想を完成された体系として想定するわけではない。むしろ彼によれば、ある思想は「不完全性、非一貫性、不安定性」を避けがたく抱え込んでいるが、しかし思想家は「それらを克服しようとする努力」によって、自己の知的所産にどうにかして一貫した意味を与えようと苦闘しつづける。12 このような精神的苦闘の軌跡を、ダンは思想の文脈として見出すのである。こうして彼は、テクストとその著者自身の意図との緊張を際立たせる。それゆえにダンの思想史は、彼のロック論がまさにそうであるように、悲劇的な英雄譚――登場人物の成功よりも挫折が読者に深い教訓を与えるような説話――の趣を帯びる。13 これもある意味で、テクストの意味づけにおいて著者がもつ特権の否定といえる。とはいえダン自身の眼目は、ロックの精神的挫折を正しく理解しないがゆえに、後世の読者たちがロックを避けがたく誤読してきたと示すことにあると見受けられる。これはたしかにロックの受容史の一つの叙述かつ理解だが、しかし非常に一面的な理解である。

 著者自身でさえテクストの完全に首尾一貫した意味を確定できるとは限らないことに留意しつつ、テクストの受容過程に接近することは、むしろ後続世代の読者たちの多様な解釈にたいしてテクストを開き、受容史研究をより実り豊かにすることに寄与するはずである。著者自身が意図しなかった含意を読者がテクストから引き出すことは思想の受容につきものだが、そうした事件はたんなる流用や改変や誤読ではなく、より大きな意味をときに含んでいるかもしれない。たとえばモリニューの『アイルランド論』(1698年)は、そうした事例の一つとして参照しうる。アイルランド議会の独立を示す試みである同書においてモリニューは、イングランド古来の国制が自由な統治であったと論証するために、すでに彼が友人ロックの著書と信じていた『統治二論』における同意による統治の原理を援用している。そのころロックは、アイルランドの毛織物産業の抑圧とひきかえにイングランドのそれを保護するための立法を推進しており、自著がアイルランドのために使われるとは想定しておらず、それには大いに戸惑わされたはずである。このロック研究者にはよく知られたエピソードにおいて、読者モリニューは著者ロックの意図しない読みかたを実践したにすぎないのだろうか。むしろ、ここでモリニューはロックよりもロックらしい解釈を『統治二論』から引き出したとは言えないだろうか。王位排斥危機から名誉革命までの一連の政治的事件は、そして『統治二論』――その執筆および公刊におけるロックの意図はこの時期における諸事件の一つ、またはいくつかに関連する――は、ジェイムズの背後に控えるフランスの外圧がイングランドにもたらした脅威への反応であった。それをふまえれば、イングランドの圧力からアイルランドの権利を守ろうとしたモリニューこそが『統治二論』の著者の意図を、ある意味では著者自身よりも適切に理解していたと言えそうだ。ある偉大なテクストからそれにふさわしい意味を汲み出すのは、つねに著者であるとは限らないのである。

 このようにして思想の受容史は、テクストの改変や誤読ではなく、むしろテクストの潜在的含意がそこで展開される、世代をこえたテクストの文脈づけの過程として理解することが、つねにではないにせよ可能であると思われる。そこでは、著者の意図は特権化されるわけではないが、しかし無視されたり留保されたりするわけでもなく、テクストの世代をこえた文脈を形成する要素として位置づけなおされるだろう。

 ある思想の受容史の叙述を、その理解へとさらに前進させる方法について、ゴルディが素描したロック政治思想の受容史にそくして考察してみた。ゴルディが言うように、ロックのテクストを「宗教改革期の敬神的反乱の終点」のみならず「啓蒙的リベラリズムの始点」としても位置づけうるとして、なぜそれが可能であるかを説明するためには、このような方法が役立つかもしれない――もちろん、それは実際の研究において証明されなければならないが。


  1. ^ 全6巻からなる本書に収録されているテクストの目次は、ジョン・アティッグ作成のウェブサイト John Locke Resources, Bibliography, Chapter 7: Politics & Government における本書のページに掲載されている(https://openpublishing.psu.edu/locke/bib/goldie.html 2020年3月15日閲覧)。
  2. ^ Jacqueline Rose, ‘The Contexts of Locke’s Political Thought,’ p. 56, in M. Stuart ed., A Companion to Locke, Wiley-Blackwell, 2015.
  3. ^ テクストの選定にかんする評注(pp. 11-14)でゴルディは、この選集においてpoliticsという語は「宗教的寛容や、貨幣と所有権にかんする諸観念を含む」と断っている(p. 11)。その一方で『統治二論』と、他の著書つまり『人間知性論』や『教育に関する考察』におけるロックの名声との「相互作用」を伝えるテクストは、選集の範囲を狭めるために除外したと述べている(pp. 11-12)。
  4. ^ ストウ庭園のロックの胸像は英国ジオグラフ・プロジェクトのウェブサイト(https://www.geograph.org.uk/photo/838017)を、ロックの肖像画(クネラー作、1697年)はエルミタージュ美術館ウェブサイト(https://www.arthermitage.org/Godfrey-Kneller/Portrait-of-John-Locke.html)を、それぞれ参照(2020年3月15日閲覧)。
  5. ^ ゴルディが言及している研究は以下である(pp. 20-21, notes 26-28)。Leslie Stephen, The History of English Thought in the Eighteenth Century, 1876; A.D. Linsey, The Modern Democratic State, 1943; Gerald Cragg, Reason and Authority in the Eighteenth Century, 1964.
  6. ^ Cf. Mary Astell, Preface from Reflections upon Marriage, 1706, in M. Goldie ed., The Reception of Locke’s Politics, vol. 2, p. 116.
  7. ^ ゴルディ(p. 31, n. 85)によれば、この風刺画は以下に掲載されている。Geoffrey Holmes, The Trial of Doctor Sacheverell, Eyre Methuen, 1973, opp. p. 32.
  8. ^ John Dunn, ‘Review, The Reception of Locke’s Politics by Mark Goldie,’ in The English Historical Review, Vol. 116, No. 465, 2001, pp. 145-147.
  9. ^ スキナーもダンもコンテクスト主義に依拠しているとはいえ、スキナーが言語行為論に依拠しつつ思想の文脈を言語的慣行として特定するのにたいして、ダンは言語行為論にはほとんどコミットしていない。堤林剣「ケンブリッジ・パラダイムの批判的継承の可能性に関する一考察(1)」、慶應義塾大学法学研究会『法学研究』72(11)号、1999年、81-82頁を参照。なお堤林は「ケンブリッジ・パラダイム」またはケンブリッジ学派の方法論について、ダン、スキナー、ポーコックのあいだに「著しい相違がある」ことに注意を促している(同前、44頁)。
  10. ^ クエンティン・スキナー『思想史とはなにか――意味とコンテクスト』岩波書店、1990年、161頁。
  11. ^ John Dunn, ‘The Identity of the History of Ideas,’ in Political Obligation in Its Historical Context, CUP, 1980, pp. 26-27.
  12. ^ Dunn, ‘The Identity of the History of Ideas,’ p. 16.
  13. ^ ジョン・ダン『ジョン・ロック――信仰・哲学・政治』岩波書店、1987年。



2020年1月12日

書評 Jolley 2016, Toleration and Understanding in Locke (沼尾恵)


Nicholas Jolley, Toleration and Understanding in Locke (Oxford University Press, 2016)
沼尾恵 (慶應義塾大学)

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 本書における著者Nicholas Jolleyの主張は、ロックが体系的な(systematic)思想家であるということである。著者によれば、今日のロック研究は、学問領域によっていわば分断されており、こうしたことの結果として、ロックの思想の断片しか見えなくなっている。ロックの政治理論の研究者はロックの政治理論の著作を、ロックの哲学の研究者はロックの哲学の著作をそれぞれほぼ唯一の分析対象とし、相互の関連性を見出す努力を基本的にしないでいるのである。こうした状況に対して著者は、ロックの思想世界を「宗教的寛容」(religious toleration)というキーワードでつなげ、その体系性を示すことができると考えるのである。(本書の裏表紙では、ロックの3つの主要作品 ――『人間知性論』、『統治二論』、『寛容についての手紙』―― のつながり、というような売り文句になっているが、実際にはこの3つの作品以外にもロックの著作が検討されており、この3つの作品のつながりというよりは、諸分野におけるロックの思想のつながり、といったほうがよいかもしれない。この点についてはまた後で触れる)。

 本書の構成は、序論と結論を除く8章立てである。まず第2章では、著者は「自然法」と並んでロックの生涯に渡る関心事として「寛容」を挙げ、ロックの思想の軌跡を辿る。これは、多宗派の存在という現実を目の当たりにした若きロックが、さまざまな宗派のひとびとをひとつの教会に「包括」するという政策の実現可能性、また宗教的寛容と政治的秩序の両立可能性という2つの課題に取り込み、紆余曲折を経て、再び後年、こうした課題に取り込むという物語になっている。

 第3章から第6章において、著者は、ロックの『人間知性論』と寛容論(これは『寛容についての手紙』に加え、同書の批判者ジョナス・プロウストに対する応答の一連の寛容書簡や『寛容についての手紙』以前に書かれた『寛容についてのエッセイ』を含む)との相性、あるいは、互換性について検討する。第3章では、著者によれば、ロックはプロウスト論争において知識(knowledge)と信念(belief)とを明確に区別し、啓示宗教が後者にかかわる事柄であるため、国家による「真の宗教」の強制は正当化できない、と論じているのであり、このようにプロウスト論争を検討することで『人間知性論』の射程をとらえ直すことができるという。続く第4章において著者は、ロックがひとは自身で知識や信念にかかわることについて判断しなければならないという認知的個人主義(epistemic individualism)の立場をとっていることが『人間知性論』やプロウスト論争から見える、と主張する。第5章では、『寛容についての手紙』において、ひとが自在に信念を変えることができないと主張するロックを、「真正な信念」(sincere belief)という概念を用いることによって、プロウスト(そして現代においてはWaldron 1991)の批判から護り、ロックの一貫性を担保することができる、と著者は論じる。そして第6章では、ロックがなぜ狂信(enthusiasm)についての章を『人間知性論』に追加したのか検討されている。著者は、それはロックの知性論と狂信との間では、実は共通点があるように見えるため、ロックが自身の立場を明確にするべく新たな章をつけ加えたのではないか、と推測する。同時に、著者は、より寛容な知的環境を醸成するうえでも、ロックが熱狂主義を論駁する必要があった、と説明する。

 つぎに、本書の第7章から第9章では、ロックの政治理論、寛容論、そして道徳・宗教思想との間のつながりについて、著者は取り扱う。第7章において、著者は、Waldron 1991の批判に対する応答として、ロックの『統治二論』および『寛容についての手紙』が相互補完的であるということを指摘すると同時に、宗教的寛容を国家の役割(function of the state)という観点からロックが論じている、と主張する。そしてここで重要なことは、国家の役割を契約主義的(contractualist)な観点から理解できるということである。というのも、後のプロウスト論争で問題になるのが、なぜ国家の役割に宗教的な事柄が含まれないのかという問題であり、こうした問題の存在を考えたとき、『統治二論』と『寛容についての手紙』との関係に、新たな見方が生まれてくるのである。第8章では、著者は、『寛容についての手紙』においてさまざまな信仰を認める寛容を謳ったロックと『キリスト教の合理性』においてキリスト教の多宗派をひとつの教会の下にまとめる包括(comprehension)を援護射撃するような神学的立場を明らかにしたロックとの間の一貫性について検討する。著者は、他宗教を受け入れる政策としての寛容(tolerationあるいはindulgence)とキリスト教内のまとまりを願う包括政策は相反するものではないと論じる。最後に、第9章では、『寛容についての手紙』において、なぜ自然法の議論が出てこないのかという問題を著者は扱う。著者によれば、これは自然法から宗教的寛容の正当化を試みた場合、同じく自然法を使い、しかしながら、国家の役割を世俗的な事柄に制限しなかった「賢明なるフッカー」(Judicious Hooker)との相違に注意を引いてしまうおそれがあったためである。

 以上までが本書のまとめであるが、以下、本書の評価に移りたい。まず本書は共鳴できたところ、刺激を受けたところ、それぞれ多々あった。しかし、同時に危うさや物足りなさを感じさせられるところもあった。肯定的に評価できる点からはじめると、それぞれの章の議論がロックの思想におけるパズルを取り上げ、ユニークで、かつ、なかなか説得力がある視点を提供していることを挙げることができる。たとえば、第3章と第7章は、プロウスト論争からロックをとらえ直す新たな視点を提供していると同時に、ロックの政治理論、寛容論、そして哲学との間のつながりをより鮮明にしてくれている。

 しかし、こうした本書の強みは、注意をしなければ同時に問題にもなりかねない。これは、すなわち、時間的に『寛容についての手紙』の後のプロウスト論争の文脈で書かれた寛容書簡を使って、それ以前に書かれた『寛容についての手紙』や『人間知性論』を理解しようとする著者の方法論のことである。著者の「ロックが体系的な思想家である」という主張がロックの「認識論や政治哲学が寛容についての問題に含意があることを、彼が自覚しており、また利用しようとしている」(8頁)1 ということを意味しているのであれば、この方法論はさほど問題にならないだろう。また、ロックの「後の寛容書簡は、すなわち、『寛容についての手紙』の議論を補足する」(38頁)2 という主張であるのであれば、これも特に問題はないだろう。しかし、著者は本書のその他の場所では『統治二論』、『寛容についての手紙』、『人間知性論』の3つに限定した著作の間の関係を読み解く方法として上記の方法論を掲げており、そうした文脈であるのであればもっと慎重になる必要があると思われる。つまり、これは過去のある時点ではなかった一貫性を見出してしまうおそれがあるからである。

 もちろん、(たとえば)『寛容についての手紙』と後の寛容書簡との間では理論的な変化がなく、機会が与えられたからこそ、ロックは『寛容についての手紙』の前提をより明確にし、説明することができた、という見方もできなくはない。ただ、この時点までのロックが、著者自身指摘しているように、前期から中期にかけて寛容の問題について方向転換したことや、また『人間知性論』や『統治二論』も出版後修正を加えていったことに鑑みれば、この3作品の間の一貫性ということに拘らず、「ロック思想の変遷」と「一貫性を目指す努力をするロック」という設定のほうが無難だったかもしれない。(無論、3つの作品がそれぞれ修正・明確化されていったという意味で、共時的ではなく通時的な観点からこの3つの作品の一貫性を見ているということもできるが、であれば、なおさらこれは単にロック思想の変遷とも言い換えることができるのではないだろうか)。

 上の議論が本書の危うさについてだとすると、つぎに物足りなさという観点から少し見てみたい。この観点からまず気になったことは、本書においてカバーされている先行研究の範囲である。まず本書の主張に戻ってみると、著者は、今日のロック研究が学問領域によって分断されている、と指摘している。たしかに、そうした現状はあると評者も考える。そして、まさにこうした隔たりを埋めるべき、奇しくも本書の出版と重なるように、哲学者と政治理論家をつなげようとする John Locke Society 3 が国際展開しはじめたのである。しかし、ひょっとしたら哲学者にとってこの分断あるいは孤立はもっと著しく感じられているのかもしれないが、政治理論家の立場から政治理論の研究を見ると、著者が認めているより、もう少しロックの哲学と政治理論との間につながりを見出そうとする研究はあるように思われる。たとえばHarris 1998がその一例であるが、これは関連するところにおいて本書では参照されていない。またGrant 1987やCasson 2011なども本書の趣旨とは少し違うかもしれないが、いずれにしてもロックの哲学と政治理論をつなげているという意味では挙げられてもよいと思われる。

 先行研究の調査範囲の狭さにあわせていうと、印象として本書で参照される政治理論側の最近の研究がやや少なく感じた。たとえば第9章の自然法にかんする議論の欠如の問題では、Harris 2013(またHarris 2002)に言及がなく、評者としては多少不満が残る。(本書が出版された2016年から逆算して、原稿ができあがっていたであろう時期を推測してみると、もしかしたらまだこの研究は出版されていなかったのかもしれないが、出版まで3年あれば言及することぐらいはできたように思われる)。

 最後に、本書の分析的な側面からの物足りなさについて言及したい。上でも述べたが、本書の各章では、それぞれロックの思想におけるパズルが取り上げられ、それぞれそれなりに説得力がある議論がされている。ただ、本書の目的がロックの体系性を示すことであることを改めて考えると、少しその観点からは物足りなさを感じた。本書のNuovo 2017による書評に指摘されていることだが、ロックの3つの作品を結ぶキーワードとして挙げられている宗教的寛容はあくまで「テーマ的」(thematic)なつながりであるように思われる。これは、ロックの3つ作品が理論的にどう結びついているのか、という問題とは別である。Nuovo自身は「道徳」(morality)という言葉でこのつながりを説明しているが、これは著者のJolley自身が認めているロックのもうひとつの関心事である、自然法と関連することである。たしかに本書の第9章は、自然法にかんする議論だが、この章からは、自然法があくまでもひとつのつなぎでしかなく、ロックの思想世界をまとめる要であるというような印象は受けない。

 またこの問題と関連していえることは、本書のそれぞれの章がややケーススタディ的な傾向があり、理論構造的な観点からロックの思想世界が全体としてどうまとまっているのか、本書を読んで理解がさほど深まらなかった。

 このようにやや批判的に本書を評価してきたが、さまざまな側面において新たな視点を提供してくれる刺激的な本であったことは間違いなく、ロックの哲学を専門にする研究者であれ、ロックの政治理論を専門にする研究者であれ、一読してほしい本のひとつである。


  1. ^ 原文は以下のとおりである。Locke ‘is systematic in the sense that he is aware of, and seeks to exploit, the implications of his theories in epistemology and political philosophy for the issue of toleration’.
  2. ^ 原文は以下のとおりである。‘Locke’s later letters for toleration thus supplement the arguments of the Epistola’.
  3. ^ 本ソサエティーについては、https://thejohnlockesociety.com/about を参照。

参考文献
  • Casson, Douglas John. 2011. Liberating Judgment. Princeton: Princeton University Press.
  • Grant, Ruth. 1987. John Locke’s Liberalism. Chicago: The University of Chicago Press.
  • Harris, Ian. 1998. The Mind of John Locke. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Harris, Ian. 2002. ‘Tolérance, église et état chez Locke’, in eds. Yves Charles Zarka, Franck Lessay, John Rogers, Les fondements philosophiques de la tolérance en France et en Angleterre au xviie siècle, vol. 1. Paris: Presses Universitaires de France, pp. 175-218.
  • Harris, Ian. 2013. ‘John Locke and Natural Law: Free Worship and Toleration’, in eds. Jon Parkin and Timothy Stanton, Natural Law and Toleration in the Early Enlightenment (Proceedings of the British Academy 186). Oxford: The British Academy, pp. 59-105.
  • Nuovo, Victor. 2017. Review of Toleration and Understanding in Locke, Notre Dame Philosophical Reviews (Available at: https://ndpr.nd.edu/news/toleration-and-understanding-in-locke).
  • Waldron, Jeremy. 1991. ‘Locke: Toleration and the Rationality of Persecution’, in eds. John Horton and Susan Mendus, John Locke: A Letter Concerning Toleration in Focus. London and New York: Routledge, pp. 98-124.



2019年11月1日

書評 Klosko 2019, Why Should We Obey the Law? (小城拓理)


George Klosko, Why Should We Obey the Law? (Polity, 2019)1

小城拓理 (愛知学院大学)

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1. はじめに

 なぜ人間は統治に従わなければならないのか。これは統治への服従義務、すなわち政治的責務(political obligation)の根拠を問うものである。現在、これは政治的責務論の問題として知られている。政治的責務という語そのものの歴史は浅いが、この問い自体は歴史のあるものである2。その典型は既にプラトンの『クリトン』の中に見出すことができよう。また、これはソフォクレスの『アンティゴネー』といった文芸作品でも重要なテーマとなっている。シモンズによると、この問題をめぐる議論は17世紀を頂点に盛り上がったものの、18世紀以降は一度後景に退いたという。しかし、この問いは1950年代以降再び脚光を浴びるようになった。その背景にはベトナム戦争や公民権運動がある。明らかに統治が不正なことをしているにもかかわらず、なにゆえ国民はそれに服従しなければならないのか。こうした疑問が再び研究者をして政治的責務の問題に向かわせることとなったのだ3。もちろん、この問題はアメリカに限られるものではない。冷戦終結後の各国のナショナリズムの高まり、そして頻発する内戦の数々もまた統治と人間とを繋ぐ政治的責務について再考を迫る問題であった4。さらに、環境問題や南北問題といった国境を超えたグローバルな問題が現れてくる中で、今まさに国家の存在理由が問われているのである5。このように政治的責務論は古くて新しい問題であり、その議論は現在極めて多岐に渡っている6

 今日、様々な主張が展開されている政治的責務論であるが、ここでシモンズによる分析枠組みを援用することで、論争状況を整理してみよう。シモンズによると、そもそも人間が守るべき義務というものは二つの軸、すなわち、その義務が意図的な行為(voluntary act)によって発生するかどうかという軸とその義務を果たすべき対象が一般的(general)か個別的(special)かの軸によって四つに大別できるという。つまり、意図的で一般的なもの、意図的で個別的なもの、非意図的で一般的なもの、そして非意図的で個別的なものの四つである。しかし、このうち一つ目の種類の義務は存在しないので、義務には大きく分けて三種類あることになる7。以上を踏まえて、評者なりに表にまとめてみよう。



そして、シモンズは統治への服従義務の正当化の理論は上記の三種類に整理できるとする。まず、統治への服従義務を意図的で個別的な義務と捉える①の立場である。後述するが、この代表がロックの同意論である。次に、統治への服従義務を非意図的で一般的な義務と捉える②の立場である。この代表が本書評で取り上げるクロスコのフェアプレイ原理である。本書評では長年政治的責務論の問題に取り組んできたクロスコの最新作Why Should We Obey the Law?の内容を紹介した上で、評者のコメントを付していきたい8


2. 本書の内容紹介

 本書は序章を含めて五章から成る。ここからは各章ごとの内容をまとめていこう。まず、Introductionでは本書の問題が提示される。その問題とは、なぜ人間は統治に服従すべきなのかという統治への服従義務、すなわち政治的責務の正当化根拠を問うものである。クロスコは、この問題に対する答えに関して研究者は一致していないものの、政治的責務論が満たすべき条件に関しては一致していると言う。その条件は三つある。第一に一般性要件である。これはその国の住民全員もしくはほとんど全員の政治的責務を説明せねばならないというものである。第二に特別性要件である。これは住民の自国の統治への政治的責務を説明しなければならないというものである。第三に全般性要件である。これはその国の全ての法への住民の服従義務を説明せねばならないというものである。そして、クロスコは本書ではアナーキストの主張を拒絶し、国家を正当化すると宣言する。

 続く第二章Consent Theoryでまず取り上げられるのがロックの同意論である。クロスコは、ロックが『統治二論』第二篇で展開した同意論を紹介しつつ、その長所と短所を見定めようとする。クロスコは以下のようにまとめている。ロックによると人間は生来自由である。そして、人間は最初統治の無い自然状態にいる。自然状態は自然法があるので比較的平和であるが、統治が無いので不安定である。そこで、人間は同意によって統治を設立し、社会の多数者に拘束されるようになる。そして、クロスコは言う。ロックの理論の長所は明らかである。まず直観的に見て明晰である。また、人間は自然状態を離れて多数者に拘束されることに同意するので、多数者が決定することに服従する義務を負うことになる。これは全般性要件を満たしている。

 だが、クロスコはロックの同意論の短所も指摘する。それは、明示的に同意して成員になるのはせいぜい国籍を取得しようとする外国人だけだという点である。そして、この欠点に気付いていたが故に、ロックは暗黙の同意も導入している。暗黙の同意とは領域内で居住することから導出される同意のことである。しかし、シモンズが言うように暗黙の同意には問題がある。移民はともかく、国内で生まれ育ち、居住し続けることが同意になるとどれくらいの人が知っているだろうか。また、同意しないことの証として国を離れることには大きなコストもかかる。ここでクロスコは、ヒュームの「原始契約について」(1748)における有名な一節を引いている。

外国語やそこの生活様式を知らず、わずかな賃金でその日暮しをしている貧乏な農民や職人が出国する自由な選択肢を持っているなどとまじめに言えるだろうか。これは眠っている間に船に乗せられ、船から離脱すればたちまち海に落ち込み死んでしまうのだから、船にいることそれ自体で、船長の支配に自由に同意したのだと主張するのと同じである。

ここでヒュームは、ロックを念頭に置いて、暗黙の同意を統治下での居住の事実から導出することを批判している。クロスコはヒュームの同意論批判を首肯できるものとしている。

 だが、この暗黙の同意の難点を克服すべく、居住以外の行為を同意の表明と捉える研究者もいる。例えば投票という行為である。プラムナッツやシンガーがこうした主張をしている。これは投票とゲームのアナロジーに基づく。例えば、チェスをする人はチェスをすることでチェスのルールに従うことに同意している。同じように選挙で投票する人は統治に服従することに同意しているのだというわけである。ところが、このアナロジーはうまくいかないとクロスコは断じる。そもそも、選挙では投票しない人が多い。投票しない人は政治的責務を負わないのだろうか。また、投票する人は、投票することで統治に従うことに同意することになると知っているだろうか。いずれも考えられないことである。

 確かに、クロスコから見ても同意論は魅力的である。それでも、この同意論は現代の国家のほとんど全ての市民には当てはまらない。従って、全ての市民の服従義務を説明するという一般性要件を同意論は満たさない以上、政治的責務論としては受け容れ難いとクロスコは結論付ける。

 なお、クロスコは、暗黙の同意の問題に対処するために仮説的同意論を持ち出す研究者にも触れている。仮説的同意論とは、ある国の状況が、その国の法に服従することに同意できるようなものであるならば、この仮説的同意によって政治的責務が基礎づけられるという理論のことである。この主張の代表がウォルドロンである。しかし、ここでクロスコは仮説的同意論に対するドゥオーキンの批判、すなわち、同意は実際になされて初めて拘束力を持つという批判を紹介し、仮説的同意論を退けている。

 最後に、クロスコは以下のように述べている。近年では政治的責務論が満たすべき条件が厳しすぎるので、成功する政治的責務論は存在しないという主張が有力である。例えばシモンズがそうである。だが、こうした主張は「成功」という言葉で何を意味しているかによるだろう。クロスコによると、伝統的な基準を問い直し、改訂することで、我々は成功とみなしてもよい理論を作成できるはずだという。

 第三章The Principle of Fair Playでは、次の政治的責務論として帰結主義が取り上げられる。帰結主義による政治的責務の説明はプラトンの『クリトン』に既に見られるものである。この中で擬人化されたアテナイの法は、ソクラテスの脱獄は国家を破壊するものだと主張している。クロスコは帰結主義に否定的である。というのも、帰結主義の場合、ごく少数の人間による法の違反が、全ての人間が法を守る場合よりもよい結果をもたらすことがあるからだ。例えば、脱税をした人間が浮いた金で家族や友人に贅沢なプレゼントをすれば、社会全体の功利は増すことになるだろう。しかし、それでも我々は、脱税は不正であり、不公正なことだと感じるはずだ。こうしてクロスコは帰結主義を退ける。

 そして、次に取り上げるフェアプレイ原理(principle of fair play)こそ、クロスコが最も有望だとする政治的責務論である。クロスコは、フェアプレイ原理が同意論や帰結主義よりも見込みのある政治的責務の基礎であり、この原理によって、全てないしほとんど全ての住民の政治的責務が説明できると主張する。さて、そもそもフェアプレイ原理は最初ハートによって定式化されたものである。クロスコはハートの「自然権は存在するか」(1955)における以下の箇所を引用する。

多数の人々が一定のルールに従って共同の企てを遂行し、各自の自由を制限している場合、この制限に服する人々は、もし必要とあれば、自分たちがルールに服することから利益を享受した者に対し、自分たちと同様のルールの遵守を要求する権利を持つ。
フェアプレイ原理によると、もし人々が協同の企てから利益を受け取るなら、それを受け取るためには応分の責務を果たさなければならない。そして、社会とはその成員が利益を産みだしたり、受け取ったりする協同の企てである。従って、ここから利益を享受する者は、応分の負担を果たさなければならないということになる。

 だが、このフェアプレイ原理に対しては『アナーキー・国家・ユートピア』(1974)におけるノージックの批判がある。クロスコはノージックの批判を以下の思考実験を用いてまとめ直している。アンの近所の人たちがラジオの公共放送番組を立ち上げたとしよう。これは音楽などを放送するもので、近所の人たちが毎日交代で放送を担当している。アンはこの番組を楽しんでいる。さて、アンはこの放送を担当する義務を負うだろうか。これに対してノージックは否と答える。なぜなら、アンはそもそもこの番組の設立に関わっていないからである。つまり、単なる利益の享受だけでは、人間に義務を負わせられないとノージックは主張しているのである。

 しかし、クロスコから見るとノージックの批判は誤りである。というのも、社会という協同の企ては、音楽などではなく、例えば国防による平和という極めて重要な利益を産みだしているからである。この利益は人間の生存に不可欠であり、みなが求めるものである。従って、応分の負担を果たさずに利益だけを享受する者はフリーライドをしている。そして、国民は誰もが国防により平和という利益を享受している以上、政治的責務を負う。こうして、フェアプレイ原理では同意論では満たせなかった一般性要件を満たすことができるのである。

 では、利益と負担はどのように配分されるべきなのであろうか。ここで重要なのが民主主義である。なぜなら、もし人々がある決定に従うことが道徳的に求められているのなら、それらを決定するプロセスに公正な発言権を有していなければならないからだ。ただ、民主主義それ自体が政治的責務を基礎づけるわけではないことに注意しなければならない。民主主義は責務の内容を決定するのに資するだけなのである。

 第四章Multiple-Principle Theoryは本書で最も長い章である。この章の冒頭でクロスコはフェアプレイ原理には弱点があることを認める。それは、後述するが、フェアプレイ原理では全般性要件を満たせないことである。この弱点を克服するためにクロスコが提案するのがフェアプレイ原理を他の道徳原理で補強すること、すなわち複合原理理論(“multiple-principle” theory)による解決である。クロスコによると、これまでの政治的責務論の研究者たちは一つの理論によって政治的責務を正当化することに固執してきた。だが、ある理論を採用することが他の理論を排除するわけではない。もっと柔軟になり、複数の理論でもって政治的責務を正当化しようとクロスコは述べる。

 さて、クロスコは、フェアプレイ原理で説明できないある義務を挙げている。それは、福祉国家を維持するために必要な義務、例えば納税などの義務である。そもそも、フェアプレイ原理は自己利益に基づいている。というのも、自分が利益を享受する場合は応分の義務を果たせというのがフェアプレイ原理の要諦だからだ。だが、福祉国家によって利益を得るのは貧しい人や病人、そして障害者であって、住民全員というわけではない。では、クロスコは福祉国家を維持するために必要な義務をどのように説明するのだろうか。実は、クロスコは、この義務がフェアプレイ原理によっては正当化できないことを認める。その上でクロスコは相互援助義務(duties of mutual aid)というものを導入することで正当化しようとする。相互援助義務とは、何らかの事情によって困窮している他者を援助する義務を意味する。クロスコによると、この義務が普遍的な万民の義務であることは明らかである。クロスコはこの相互援助義務によって、フェアプレイ原理によっては正当化できない福祉国家を維持するために必要な義務をカバーしようとするのである。

 では、フェアプレイ原理と相互援助義務は特別性要件を満たせるであろうか。この疑問に対してクロスコは可能だと答える。まず、フェアプレイ原理の場合、自分が享受する利益は同じ国に属する同胞の負担によって生み出されたものである。従って住民は自分が属する国に対する服従義務を負う。では、相互援助義務の場合はどうか。ここでクロスコは前述した民主主義の重要性を想起せよと言う。民主主義は、市民が参加する権利を持つだけでは実現しない。参加するための一定の資源、例えば金や余暇、そして教育の機会を市民に保障しない限り、市民が公正に扱われたことにはならない。従って、我々は他国の市民ではなく、自国の民主主義の下にある同国の市民に対してまず援助する特別な義務を有するのである。こうして複合原理理論は全般性要件と特別性要件双方を満たすことができるとクロスコは述べる。

 では、一般性要件に関してはどうだろうか。ここでクロスコはアナーキストの存在を想定する。すなわち、自分の能力に強い自信を持ち、国家の介入を拒絶する個人である。このようなアナーキストは国家からの離脱を主張するかもしれない。もちろん、離脱を認めることは一般性要件に抵触してしまう。これに対してクロスコは言う。そもそも、このアナーキストは事実認識を誤っている。というのも、このアナーキストが自負している能力は、他者との関わりの中で育まれてきたものだからである。つまり、人間の能力は社会という枠組みの中で初めて形成されるのだ。従って、このアナーキストの主張はこうした事実を無視するものなので受け容れられないのである。

 第五章Limits of Political Obligationでは、まず政治的責務が一応の責務(prima facie obligations)でしかないことが述べられる。従って、道徳的に見て不正な統治への政治的責務は生じない。では、統治が不正なことをしている場合我々はどうすればよいのか。一つには市民的不服従という対応がある。市民的不服従とは、ある法が不正だと自身が判断した場合、その改正を促すべく意図的にそれに対する不服従を平和的に表明した上で、不服従による刑罰を甘受するという抗議の一方法である。アメリカ史における市民的不服従の代表的な例がキング牧師によるものである。だが、市民的不服従は統治が概ね正義に適っていることを前提としている。では、もし統治のなすこと全てが不正である場合はどうすればよいのだろうか。ロックが言うように、統治に対して抵抗してもよいのだろうか。いずれにせよ、統治が政治的責務を失うほど不正になっているかどうかを判断するのは非常に難しい問題である。この問題も政治的責務論における重要な問題だと指摘した上で、クロスコは筆を擱いている。


3. 本書へのコメント

 本書は、政治的責務論を主題としたクロスコの三冊目の単著にして最新作である。クロスコは1980年代の終わり頃からこの問題について数多くの論考を著してきた。もともとクロスコはロックの同意論批判を皮切りに、その後フェアプレイ原理の主張を打ち出した。だが、2000年代に入ると自身の立場を修正し、フェアプレイ原理と相互援助義務との複合原理理論を提示するようになった。このような彼自身の理論的展開は、本書の目次構成と軌を一にしている。その意味では、本書はクロスコの政治的責務論研究を総括するものと言ってよいだろう。

 さて、評者は本書を一読して以下三つの疑問を持った。第一に、なぜクロスコは福祉国家への服従義務を正当化しようとするのだろうか。これはクロスコの前提に対する疑問である。先述のように、クロスコは当初はフェアプレイ原理によって政治的責務を正当化しようとしていた。ところが、それでは全般性要件が満たせない、つまり福祉国家を維持するために必要な義務が説明できないので、クロスコはフェアプレイ原理に相互援助義務を接合したのであった。だが、そもそもなぜ福祉国家でなければならなかったのだろうか。この点に関してクロスコ自身は多くを語らない。彼はただ、統治が国民の福祉を守るのは「なじみ深い政治的直観(familiar political intuitions)」(p.88.)だと記すだけである。この直観が本当になじみ深いものであるかはひとまず措こう。ここで指摘しなければならないのは、福祉国家を前提にしたことで、クロスコは本来直面する必要のなかった課題と向かい合わねばならなくなったということである。というのも、もし最初からノージック流の最小国家を想定していれば、フェアプレイ原理だけで、一般性要件と特別性要件、そして全般性要件全てを満たす形で政治的責務は導けたはずだからである。つまり、生命、自由、財産の保護は全ての人間が望むものなのだから、それを提供する最小国家への服従義務はフェアプレイ原理だけで説明できたはずだった。にもかかわらず、クロスコは最小国家ではなく、福祉国家を想定してしまったために、クリアすべきハードルを自ら上げてしまった。そして、こうすることで、詳しくは後述するが、クロスコの複合原理理論は政治的責務論としては最終的に失敗しているように思われる。

 第二に、複合原理理論を構成するフェアプレイ原理は本当に特別性要件を満たせるのだろうか。ここでは、クロスコがしばしば言及する国防による平和という利益を例に検討しよう。クロスコによると、この利益は人間の生存に不可欠な利益なので、誰もが享受することを望むものである。そして、国防が住民の負担によって支えられている以上、応分の負担を果たさずに平和という利益を享受する者はフリーライダーである。従って、国民はみなこの利益を提供する統治への服従義務を負う。だが、ここでクロスコはある可能性を見落としている。それは、国防による平和という利益を提供するのはその国の統治だけではない可能性である。例えば、日本の平和が在日アメリカ軍によって保たれているとしよう。この場合、日本国民は日本の統治だけでなく、アメリカの統治にも服従義務を負うことにならないだろうか。なぜなら、アメリカ軍がアメリカ人の負担によって維持されている場合、それにフリーライドすることは許されないからである。しかし、だとすると日本国民はアメリカの統治への服従義務も負うことになる。つまり、フェアプレイ原理では特別性要件は満たせないのである。

 第三に、複合原理を構成するもう一つの相互援助義務も本当に特別性要件を満たせるのであろうか。前述のように、クロスコは民主主義への参加のためには一定の資源、例えば金や余暇、そして教育の機会が必要であり、それを自国に属する他の成員に優先的に保障する必要性から特別性要件を説明していた。ここでクロスコの言を引いておこう。

全ての市民がこのような資源を持たない限り、彼らは貢献することを要求されている協同の枠組みにおいて不公正に扱われているのである。従って、我々は、他国の住民には当てはまらない、自国の同胞である市民に対する特別な正義の要求を認めなければならない(p.82.)。

要するに、人間は自分と同じ民主主義の体制下にいる人間を優先的に援助しなければならないということであろう。逆に言えば、同じ民主主義の体制下にいる人間に援助を与えないことは彼らに対して不公正な扱いをしているということになる。しかし、この議論には問題がある。というのも、クロスコはこの箇所で相互援助義務の対象を自国の人間に限定するに際して、明らかにフェアプレイ原理に訴えているからだ。つまり、クロスコは福祉国家を維持する義務を、結局は相互援助義務ではなく、フェアプレイ原理によって正当化している。ところが、前述のように、フェアプレイ原理では特別性要件が満たせない。従って、クロスコの複合原理理論は政治的責務論として成功していないのではないだろうか。そして、この失敗は、私見では、クロスコ自身が政治的責務を正当化すべき国家を福祉国家にしたことによるのである。

 以上、評者はクロスコに批判的なコメントを記してきた。しかし、本書は政治的責務論の見取り図を得るだけでなく、この研究の第一人者であるクロスコ自身の主張を知るためにも極めて有益である。その意味では、本書は政治的責務論を研究する上での必読文献と言えるのではないだろうか。


 ※ 本研究はJSPS科研費19K12941と19H01203の助成を受けたものです。


  1. ^ 本書評の一部は拙著『ロック倫理学の再生』と既発表「フィルマーの契約論批判の射程」(第43回日本イギリス哲学会研究大会シンポジウム「甦るフィルマー 近代社会哲学の源流再考」[2019])の一部を下敷きにしている。
  2. ^ 「政治的責務」(political obligation)という語を初めて用いたのはトマス・ヒル・グリーンだという。Dagger and Lefkowitz, p.2; Horton, 2010, p.1; 鈴木、p.10.
  3. ^ Simmons, 2002, pp.21-22
  4. ^ Horton, 2010, pp.4-5.
  5. ^ 瀧川、pp.1-3.
  6. ^ 政治的責務論については以下が簡便な見取り図を提供してくれるだろう。Hampton, pp.3-38; Simmons, 2002, pp.17-37; Simmons, 2008, pp.39-66; Dagger and Lefkowitz, pp.1-29; Klosko, 2012, pp.511-526.
  7. ^ Simmons, 2002, pp.27-29; Wellman and Simmons, 2005, pp.108-109; Simmons, 2008, pp.43-44.
  8. ^ 本書においてクロスコは③の主張を取り上げない。

参考文献
  • Dagger and Lefkowitz. “Political Obligation”, in Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2014.
  • Hampton, Jean. Political Philosophy, Westviewpress, 1997.
  • Horton, John. Political Obligation, second edition, Palgrave Macmillan, 2010.
  • Klosko, George. “The Moral Obligation to Obey the Law” in The Routledge Companion to Philosophy of Law, ed., Andrei Marmor, Routledge, 2012.
  • Simmons A. John. “Political Obligation and Authority”, in The Blackwell Guide to Social and Political Philosophy, Blackwell, 2002.
  • ――. Political Philosophy, Oxford University Press, 2008.
  • Wellman and Simmons, Is There a Duty to Obey the Law?, Cambridge University Press, 2005.
  • 小城拓理『ロック倫理学の再生』晃洋書房、2017.
  • 鈴木正彦『リベラリズムと市民的不服従』慶應義塾大学出版会、2008.
  • 瀧川裕英『国家の哲学』東京大学出版会、2017.