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ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ

ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ。 このウェブサイトは、17世紀イングランド発祥の啓蒙思想の研究および、この啓蒙運動のヨーロッパ/北米/日本への伝播・発展についての研究を促進し、広く発信することを目的としています。 従来の哲学/政治学/経済学/宗教思想とい...

2024年10月31日

第37回研究会の報告(公開学習会・イングランド啓蒙からフランス啓蒙へ)

 

第37回研究会の報告

公開学習会 イングランド啓蒙からフランス啓蒙へ——経験論、感覚論、唯物論

2024年10月6日(日) 一橋大学



 啓蒙期フランスにおけるイングランド思想の受容というテーマについて理解を深めるために、この日は「公開学習会」と銘打って、一橋大学特任教授の森村敏己さんに「エルヴェシウスにおける唯物論的感覚論」についてのお話を伺った。本研究会メンバーにくわえて、主題に関心をもつ研究者や一橋大の学生など、あわせて25名が参加した。

 イングランド啓蒙とフランス啓蒙の連続性という観点においてエルヴェシウスは、ロックの経験論をもとにコンディヤックが展開した感覚論にもとづいて、人間本性や道徳や政治についての唯物論的な学説を展開した思想家として位置づけることができる。この点について森村さんが提起した問題は、いかにしてエルヴェシウスは、観念が感覚に由来するという教説から、霊魂と物質の二元論を完全に否定する唯物論へと飛躍しえたか、ということであった。

 この問いに答えるための前提として、コンディヤックが比較の対象に挙げられた。ロックが観念の源泉として「感覚」と「内省」の二つを認めたのに対して、コンディヤックは「内省」を「感覚」に還元することによって観念の源泉を一元化した。他方で、エルヴェシウスはコンディヤックの認識論を実質的に要約するだけで、それに何も付け加えなかった。両者が分かれるのは感覚論の道徳・宗教問題への適用のしかたである。あくまでコンディヤックは、感受性を備えているのは霊魂であって感覚器官(物質)は知覚の媒体にすぎないと、またそれゆえに人間は現世のみならず来世の快苦=死後の賞罰によっても動機づけられて道徳的にふるまうと(この点ではロックにならって)主張した。ところがエルヴェシウスは、霊魂の存在と死後の賞罰をともに否定する。

 エルヴェシウスの感覚論的唯物論とは、森村さんによれば、感受性(サンシビリテ)を「特定の構造をもった」物質が帯びる属性とみなす立場である。こうして霊魂は認識論において不要となる。さらには自由意志の存在が否定され、快苦=利害関心という原因をもたない意志はありえないとされる。したがって、人を動かすのは現世的快苦のみである。しかし人間は、道徳的賞罰(公衆の評価=世論)と法的賞罰(国家)とによって道徳的行為へと動機づけられる。ただしそのためには、公衆が無知と偏見から解放されていなければならず、また国家が専制に陥らないよう公衆の政治参加が確保されている必要がある。

 こうしてエルヴェシウスの唯物論と功利主義は原理づけられている。それを彼は、主観的にはロック認識論の応用として考えていた。しかし実際にはそれを、統治の改革によって道徳的改善が必然的に達成されるという展望に結びつけたのであり、この点にエルヴェシウスの飛躍があったのである。

 以上が森村さんの講演の要旨である。これに対して、柏崎正憲(一橋大学講師)がコメントをくわえ、またフロアから多くの質問が挙がった。エルヴェシウスの第一の目的は、認識論や形而上学よりも、道徳と宗教の徹底的な峻別という(ある意味では啓蒙において典型的な)目的にこそあったと理解していいのか。エルヴェシウスの原理は道徳的次元では決定論につながるのに、どうして彼はそこから環境の改善という展望を引き出しえたのか。自由意志を否定する立場において個人の罪はどう扱われるのか。彼の功利主義はベッカーリアやベンサムのそれとどう違うか。森村さんが翻訳されたJ.イスラエル『精神の革命』について。等々。森村さんには一つ一つの質問に対して詳細かつ丁寧なご回答をいただいたので、参加者はたいへん勉強になった。

 最後に、研究会メンバーで一橋大学の卒業生でもある下川潔(学習院大学名誉教授)が、懐かしい思い出話を交えつつ、森村さんと参加者に感謝を述べ、盛会となった学習会を締めくくった。


 

 

 

 

2024年9月28日

第36回研究会の報告(Chuo Workshop on English Enlightenment 2024)

第36回イングランド啓蒙研究会(Chuo Workshop on English Enlightenment 2024)

2024/06/01,02 中央大学フォレストゲートウェイ F507教室

 

科研費基盤B「イングランド啓蒙の思想史的意義 ―拡散性とその受容の学際的研究」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23K25273/ により、ピーター・アンスティ教授(シドニー大学)を招いた国際ワークショップを2日間行った。ワークショップはすべて英語で行われた。

1日目は、Peter R. Anstey & Alberto Vanzo, Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism (Cambridge UP, 2023) をめぐって、アンスティ教授から本書の要約を話して頂いたのち、日本人研究者2名が英語でコメントや質問を行った。

2日目は、2名の日本人研究者が英語プレゼンテーションを行った後、アンスティ教授から "New Discoveries Pertaining to Locke on Natural Philosophy and Medicine" というタイトルで、クラレンドン版ロック全集の一巻(自然哲学関係の著作)について、新資料の紹介も含めて現在の編集作業について講演頂いた。

両日の発表タイトルについては、下のポスターを参照されたい。

本研究会で、初めて海外研究者を招いた研究会であったが、盛況のまま終了し、今後の展開も含めて大きな収穫と手ごたえを感じた国際ワークショップであった。

 

【会場での英語ポスター】

 

  

 【アンスティ教授によるX(Twitter)へのポスト】

https://x.com/peterranstey/status/1797617614388334666

 


2024年5月12日

第35回研究会の報告

第35回イングランド啓蒙研究会

2024/05/11 中央大学文学部3号館 哲学共同研究室


報告者  内坂翼(国際基督教大学)、青木滋之(中央大学)


 6/1,2に本研究会が主催となって開催する予定の、ピーター・アンスティ教授(シドニー大学)を招いたワークショップの打ち合わせを行った。同教授の共著 Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism (Cambridge UP, 2023) と、同教授が編纂した The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century (Oxford UP, 2013) の内容検討、紹介を行った。

 Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism は、哲学史で言われる「イギリス経験論」は、カント以降の歴史記述が後付けで生み出したものであり、実際の歴史現象としては実験哲学の興隆や衰退が実体としてあった、と主張する。報告者はこの枠組み、大枠の主張に賛同するものであるが、他方で、思弁哲学/実験哲学の区分(ESD, Experimental / Speculative Distinction)以外の、経験や観察といった概念との比較も重要でないかと指摘した。また、標準的な歴史記述である合理主義/経験主義の区分(RED, Rational / Empirical Distinction)と、本書が提唱するESDという2つの区分の両方を理解することで、「イギリス経験論の父」がベーコンなのか、それともロックなのかという、二次文献に見られる混乱が整理できるのではないか、という見通しを述べた。

 The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century からは、アンスティ教授が執筆した "John Locke on the understanding" が取り上げられた。報告者が指摘するように、ロックの言う知性とは一体何のことであるのか、これまで先行研究ではほとんど突っ込んだ研究が行われてこなかった。それに対し、この章では、知性と意志、知性と心、知性の機能、知性の導き方、といった様々な側面からロックの知性を論じており、今後ロックの知性を論じる上での標準的な参照軸になるのではないか、と報告者は評した。

 

 

 

 

  また、今回の研究会は、6/1,6/2のプログラムについての打ち合わせも含まれていたが、Day 2の発表者の順番を入れ替える以外には、大きな変更点は必要ないことが確認された。

 


2024年3月6日

第34回研究会の報告

第34回イングランド啓蒙研究会

2024/03/03 国際基督教大学 トロイヤー記念アーツ・サイエンス館

 

報告者  柏崎正憲(早稲田大学ほか非常勤)、青木滋之(中央大学)

 

 今回は、出版に向けて準備している『啓蒙主義に先立つ啓蒙』の序論、第一部の小序についての検討を行った。序論では、1.イングランドに啓蒙はあったか、1.1イングランド啓蒙の回顧的発見、1.2啓蒙主義と複数形の啓蒙、1.3啓蒙主義に先立つ啓蒙、の箇所を通覧した上で、参加メンバーから様々な議論や提案がなされた。第一部の小序は、キーワードである「実験性・経験性」をめぐる原稿が読まれたあと、同様にメンバーから様々な指摘があった。

 序論については、「冒頭にサマリーを入れたらどうか」「もっとスリムにしたらどうか。また、登場する論者が多いので、相関図を入れた方がよい」といった指摘がなされたほか、第一部小序については、「ベーコンの経験主義批判はロックの経験主義と整合的なのか」や、「実験性から経験性へのつながりが不明瞭だ」といった指摘がなされた。

 これらの指摘や批判をふまえ、原稿を推敲した上で完全原稿を揃える日程を確認し、具体的にどの出版社に掛け合うかといった話にまで、話題は及んだ。


 会場となったICUのトロイヤー記念アーツ・サイエンス館は完成されたばかりで、モダンなつくりの素敵な建物でした。また、ここで集まって研究会を行いたいです!

 

 

 

2023年11月7日

第33回研究会の報告

 

第33回イングランド啓蒙研究会

2023/10/22 中央大学八王子キャンパス(ハイブリッド)

 

 今年度に採択された新たな科研費研究課題「イングランド啓蒙の思想史的意義――拡散性とその受容の学際的研究」における各メンバーの研究計画をたがいに報告した。イングランド啓蒙の「拡散性」および受容の過程に焦点を当てるために、さまざまな研究のアイデアが提起された。

  • 社会契約論の継承と断絶
  • 実験哲学のアイルランド、スコットランドへの伝播
  • イングランド自然神学の伝統
  • 理神論とアングリカン思想との比較分析
  • ケンブリッジ・プラトニストと大陸哲学者との関係
  • イングランド啓蒙における「愛」の思想と「ケアの倫理」の接点
  • ロック経験論からフランス唯物論へ 等々

 



2023年8月4日

第32回研究会の報告

 

第32回イングランド啓蒙研究会

2023/7/28 中央大学後楽園キャンパス(ハイブリッド開催)

 

【合評会】梅垣千尋「18世紀末の女性思想家たちにとっての「啓蒙」――ウルストンクラフト、モア、バーボールドのロック受容を手がかりに」

 

評者  柏崎正憲(早稲田大学ほか非常勤)、青木滋之(中央大学)

応答者 梅垣千尋(青山学院大学)

 

 目下編集中の論集『 啓蒙主義に先立つ啓蒙――イングランド啓蒙への学際的アプローチ』 (仮)のための寄稿依頼に応じてくれた、梅垣千尋さんの論文「18世紀末の女性思想家たちにとっての「啓蒙」――ウルストンクラフト、モア、バーボールドのロック受容を手がかりに」の合評会をおこなった。

  同論文は「女性にとって、「啓蒙」とはどのような経験であったのか」という問いに答えるために、enlighten という語がフランス革命勃発後、女性思想家たちのあいだでも多く使われるようになったことを考慮しつつ、ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)、モア(Hannah More)、バーボールド(Anna L. Barbauld)の三者におけるジョン・ロックの受容を考察し、彼女らの三者三様の啓蒙思想、啓蒙観を浮かび上がらせている。そのさい著者は、啓蒙という語にかんする「現代の恣意的な定義をいったん学び落とすことで初めて見えてくる当時の人びとの地平」に迫ろうとしている。

 評者の柏崎および青木は、梅垣論文の意義として、女性の権利・地位をめぐる啓蒙の両義性がいかに女性思想家たち自身にも影響したかに光を当てた点や、enlighten の用法を詳しく調べることにより、ある思想が本来の意図をこえて後続世代により利用されていく過程を浮き彫りにした点を、とくに高く評価した。

 そのうえで、評者2名はいくつかの質問を投げかけた。「ウルストンクラフトが普遍主義的な、モアが差異主義的な立場から女性の権利を擁護しているとして、バーボルドの立場はどう特徴づけられるか」や「どういう意味でロックは社会契約のなかに家父長制を混入させていると言えるか」といった問いである。梅垣さんからは、バーボールドの議論の非体系性やヒュームとの近さ(convention や social virtue の重視)、議論の前提に置かれる大きな概念としての「家父長制」から距離をとりつつ当時の女性思想家たちの言葉づかいに寄り添うというアプローチ、等々について、示唆に富む返答をいただいた。

 ひきつづき他の参加者からも質問や論点提起があった。ハナ・モアの保守的な女性論を啓蒙的と呼びうるかどうか(女性の劣位にかんするキリスト教の伝統的観念を逆手にとる彼女の議論の性格をどう規定すべきか)、ウルストンクラフトとモアは対極的なようでいて反ルソー陣営としては共通性があるのではないか、等々、興味深い論点をめぐって議論が盛り上がった。

 


   



2023年5月28日

第31回研究会の報告

 

第31回イングランド啓蒙研究会

2023/5/14 オンライン

 

 報告者: 青木滋之、柏崎正憲、武井敬亮

 論集『啓蒙主義に先立つ啓蒙――イングランド啓蒙への学際的アプローチ』(仮)について、あらかじめメンバーから原稿を集めたうえで、編集者三名が執筆状況の報告および論集の構成の提案をおこなった。

 本論集は三つの部に分かれるが、当初は第1部「平明性・実験性」、第2部「自律性・自立性」、第3部「多元性・寛容性」という標題を考えていたところ、できあがった原稿を検討したうえで、とくに第1部と第3部は標題の変更を検討することにした。第2部についても、構成(論文の順序)を変更することなどを決めた。

  向こう数か月のあいだに編集作業を完了することが目標である。


 その後、今後の共同研究の進め方、とくに向こう一年の方針について討議した。

 なお、これまで本研究会の財源となっていた科研費研究課題「イングランド啓蒙への学際的アプローチ――「開かれた理性」の復権を目指して」は2022年度で終了したが、しかし2023年度から4年間の新たな研究課題「イングランド啓蒙の思想史的意義――拡散性とその受容の学際的研究」が幸運にも採択された。

 


 

 

2023年5月11日

第30回研究会の報告

 

 

第30回イングランド啓蒙研究会

2023/3/16 福岡大学

 

 報告者:内坂翼、青木滋之

 

1. 内坂報告

 近年の啓蒙研究の諸側面を考察することを目的に、ジョナサン・イスラエル『精神の革命:急進的啓蒙と近代民主主義の知的起源』(2017年、森村敏己訳、みすず書房)と、その原典である Jonathan Israel, A Revolution Of The Mind: Radical Enlightenment and the Intellectual Origins of Modernity (New Jersey: Princeton University Press, 2010) の内容を検討した。

 訳者のまとめにあるように、「イスラエルの啓蒙解釈の特徴は、啓蒙の担い手を急進派と穏健派に区別し、啓蒙時代の思想闘争を急進的啓蒙と穏健な啓蒙、および反啓蒙という三つの勢力による争いと位置づけたうえで、自由、平等、民主主義、政教分離、人権といった『普遍的な』価値を確立したのはもっぱら急進的啓蒙だと論じた点にある」(本書:237頁)。穏健な啓蒙思想家として、ジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、アダム・ファーガスン、ヴォルテール、イマヌエル・カント、チュルゴなどの思想家が批判される一方で、反啓蒙思想家としてジャン=ジャック・ルソーの思想が論じられる。また、バールーフ・デ・スピノザとピエール・ベールのオランダ急進思想を源流とする一八世紀の急進的啓蒙思想家の議論が、近代の普遍的価値の土台としての「精神の革命」を引き起こした歴史的流れが記述される。急進的啓蒙思想家として、リチャード・プライス、ジョゼフ・プリーストリ、ウィリアム・ゴドウィン、メアリ・ウルストンクラフト、トマス・ペイン、ディドロ、ドルバック、エルヴェシウス、コンドルセ侯爵、レッシング、ヘルダーなどの思想が詳細に検討されている。

 各章のタイトルは以下のとおり。

 I. 進歩および世界の改良をめぐる啓蒙の路線対立 Progress and the Enlightenment’s Two Confliction Ways of Improving the World.

 II. 民主主義か社会階層制 — 政治的断絶 Democracy or Social Hierarchy?: The Political Rift.

 III. 平等と不平等の問題 — 経済学の台頭 The Problem of Equality and Inequality: The Rise f Economics.

 IV. 啓蒙による戦争批判と『永久平和』の探求 The Enlightenment’s Critique of War and the Quest for “Perpetual Peace”

 V. ヴォルテールとスピノザ — 啓蒙が示す哲学体系の基本的二元性 Voltaire versus Spinoza: The Enlightenment as a Basic Duality of Philosophical Systems」である。

 研究会では、(a) 穏健な啓蒙思想に対する否定的評価への批判、(b) 啓蒙にキリスト教が寄与した側面の軽視への批判、(c) 急進派と穏健派という分類自体への疑念、(d) スピノザの著作が当時の急進派の思想に与えた影響の妥当性への疑問、(e) 「急進(radical)」という形容詞を現代的視点(自由、平等、民主主義、政教分離、人権といった『普遍的な』価値を重視する視点)から遡及的に歴史を評価する際に使用していることへの批判、などのテーマが議論された。 


2. 青木報告

John Roberson, The Case for the Enlightenment : Scotland and Naples 1680-1760, New York: Cambridge University Press, 2005 の内容報告

 「啓蒙主義」をめぐる研究で近年1つの大きなテーマとなっているのは、啓蒙主義というのが、定冠詞つき大文字の the Enlightenmentであるのか、それとも不定冠詞のan enlightenment(あるいは複数形のenlightenments)であるのか、という問題である。これは、1960年代のピーター・ゲイの啓蒙主義研究の辺りから、表立ったテーマであれ裏テーマであれ、常に啓蒙主義研究の底流にあり続けてきた問題である。現代社会では、民主主義や自由といった価値がグローバルスタンダードであるのか、が一つの重要な論点になっているが(その顕著な例が、ロシアによるウクライナ侵攻であろう)、この論点の思想史研究でのヴァージョンが、定冠詞/不定冠詞の啓蒙主義の問題圏、ということになるだろう。

 本書、John Roberson, The Case for the Enlightenment : Scotland and Naples 1680-1760, New York: Cambridge University Press, 2005 を第30回研究会で取り上げた理由は、同じ著者のジョン・ロバートソン『啓蒙とはなにか(2019 [原著2015])』の訳者解説に、「近年の啓蒙研究が細分化し、啓蒙が複数のものに分化して研究されている現状に対して、改めて一つの啓蒙を主張する著作である」とあり、現代を代表する「定冠詞つき大文字の the Enlightenment」の浩瀚なる研究であると思われたからである。今回の発表は、この著作がどのようなものかを紹介するものであった。

 ロバートソンは、現代の啓蒙研究が「断片的な啓蒙主義 fragmented Enlightenment」研究に陥っていることを嘆きつつ、the Enlightenment を標榜する先行研究として、Robert Darnton, Jonathan Israel を挙げる。しかし、ロバートソンは、両者の研究に満足しない。特にイズラエルの主張、18世紀に先立つ17世紀のラディカル啓蒙主義により「1740年代終わりには、大事な仕事はすでに終わっていた」というテーゼには与しない。そうではなく、1740s以降の定冠詞つきの啓蒙主義 the Enlightenment に特徴的であるのは、来世の存在/非存在に関わりなく、「現世をより良くすること betterment in this world」に新しくフォーカスされていったことだったと指摘する。

 この「現世改革」を標榜する啓蒙主義において重要なのは、ホッブズ、ガッサンディ、ベール、ヒュームといった思想家たちである。その核は、ラディカル啓蒙主義が主張するスピノザ主義ではなく、アウグスティヌス派とエピクロス派の思想潮流が、1680年代以降に収束していった点にあった。それをロバートソンは、スコットランドとナポリというヨーロッパの両端とも言える場所に位置する二つの都市の比較手法によって明らかにしようとする。本書を書くきっかけになったエピソードが本書の冒頭に記されているが、イタリアのバジリカータ州と、スコットランドのハイランド地方の風景が似ていることに驚かされたと、ロバートソンは、述べている。

 研究会では、ロバートソンが述べる、定冠詞つき大文字の啓蒙主義/不定冠詞つき複数形の啓蒙主義の対立という問題点が議論されたほか、アウグスティヌス派やエピクロス派の内実とは何であったのかといった質問が取り上げられた。



2023年1月6日

第29回研究会の報告

 

第29回イングランド啓蒙研究会

2022/11/20 中央大学

 

 社会思想史学会の第47回大会(専修大学、10月15日午前)でおこなった本研究会のセッション報告「イングランド啓蒙への視角――平明性、自律性、寛容性」をふまえて、同セッションの報告者三名が、論文集の全体的な構想および各部の構成にかんする草稿を発表した。

 報告者: 青木滋之、  武井敬亮、柏崎正憲


 1.論集の標題: メンバー沼尾恵の発案を受けて『啓蒙主義に先立つ啓蒙——イングランド啓蒙への学際的アプローチ』という仮題を考えている。

 

 2.論集の構想: イングランド啓蒙という研究分野がなぜ成立するか、その研究にはどんな意義があるかについて論じられた、論集の序論にあたる文章の草稿を発表。 

 【武井報告】 イングランド啓蒙という主題は、近年の研究における伝統的啓蒙観の見直し、とくに啓蒙の複数性が前提とされるようになったことの一帰結である。イングランドという場で一つの主軸をなしたのは、宗教的熱狂に対する世俗的権威および個人の保障を問題にしたアングリカンと、この問いに対して別な回答を提示した理神論者との対立である。

 【青木報告】 啓蒙の語義の拡散を避けるため、単数形のthe Enlightenmentに、人間の現世的境遇のよりよい理解と改善とを目指した「18世紀に特徴的な知的運動」(John Robertson)に照準を絞ることは、一つの方法ではある。しかし、思想史のみならず社会史の研究成果をふまえつつ、啓蒙を「より幅広い知の発酵現象」(Roy Porter)として、またしたがって複数形のenlightenmentsとして捉えるならば、そのなかにはロックやトーランドのような思想家も「プレ啓蒙」ではなく啓蒙の一要素として含められるはずである。
  


 3.各部の構成: 論集は「平明性、自律性、寛容性」をそれぞれ標題にかかげた三部構成にすることを計画している。各部の導入にあたる文章の草稿を発表。

  【青木報告】 経験と「記述的で平明な方法」による真理への接近を旨とする「実験哲学の精神」の生成と展開を、「啓蒙」という標語以前の啓蒙的運動として見るべきこと。イングランドの王立協会からジョン・ロック『人間知性論』をへてダブリン哲学協会にいたるまでの概観。

 【柏崎報告】 人間の知的自立と道徳的自律とを、カントにいたる啓蒙思想家たちに先駆けて基礎づけたのがジョン・ロックである。かれの哲学および政治学に触発されながら、すでに17世紀末のイングランドにおいて、宗教的および政治的な啓蒙のムーブメントがトーランドおよびモリニューとともに始まっていること。

 【武井報告】 イングランド啓蒙における保守的・アングリカン的な主題であった宗教的熱狂を、理神論者のアンソニー・コリンズもまた強く意識しており、それゆえに自由思想こそが寛容を促すという議論を展開したこと。このような理神論の展開に、イングランド啓蒙の特徴的要素としての寛容性の発展を見ることができること。




2022年10月2日

第28回研究会の報告

 

第28回イングランド啓蒙研究会

2022/9/25 オンライン

 

 社会思想史学会の第47回大会(専修大学)で、10月15日(土)午前に、本研究会が「イングランド啓蒙」にかんするセッション報告をおこなう。論文集の公刊という目標を念頭におきつつ、イングランドにおける啓蒙とは何であったか、本研究会はいかにしてそれにアプローチしようとしているかということを提示することが狙いである。

 大会概要(社会思想史学会ウェブサイト http://shst.jp/home/conference

 

 この日の研究会では、報告者3名が、社会思想史学会でのセッション報告の草案を発表し、他のメンバーから意見をもらった。

 セッション報告の要旨を、以下に掲載する。

 


 

イングランド啓蒙への視角――平明性、自律性、寛容性

[世話人・司会] 柏崎正憲(早稲田大学・非常勤)
[報告者] 青木滋之(中央大学・非会員)、武井敬亮(福岡大学・非会員)、柏崎正憲
[討論者] 沼尾恵(慶応義塾大学・非会員)

 イングランド啓蒙研究会は、2018年6月に発足し、2019年度からは科研費研究課題にも採択され、精力的に研究活動を続けている(ウェブサイトはhttps://english-enlightenment-f-j.blogspot.com)。社会思想史学会においては、2019年大会でも「イングランド啓蒙における理性行使の徹底化」と題したセッション報告をおこなったが、今回のセッションでは、本研究会の主題それ自体にかかわる基本的な問いを提起したい。すなわち、イングランド啓蒙とはそもそも何か、そう呼ばれるべき思想の特徴や思想家群をどう識別すべきか、イングランド啓蒙なる研究分野は成立しうるのか、という問題である。

 「スコットランド啓蒙に比べてイングランド啓蒙は研究者の間で合意がない」とは、2017年大会のセッション報告にもとづく改稿論文での田中秀夫氏のコメントである(愛知学院大学『経済学研究』第5巻第2号所収)。たしかに、イングランドが初期啓蒙の舞台や啓蒙思想の源泉であったと主張しても反論されないだろうが、イングランド啓蒙が「何であるか」とか「いつはじまったか」とかを決めようとするやいなや、意見は割れるだろう。混乱を避けるためには、まず何を啓蒙と呼ぶかについて合意に至るべきだが、そのこと自体が容易ではない。理性や急進主義といったフランス啓蒙寄りのキーワードによっても、保守的啓蒙などの代案によっても、イングランド啓蒙なるものの特徴を部分的にしか描きえないからである。田中氏が提案したように、その「主流」が「急進」から「保守反動」、再度の「急進」から「穏健」、「保守」へと推移したこと自体に、その特徴を見出すべきかもしれない。

 だが、イングランド啓蒙の「主流」と呼びうるものが何かを見定めるためにすら、なすべきことはまだ多いだろう。本研究会は、共同研究の強みを生かして、多様な専攻分野、多様な視点から、多様な題材にそくして、学際的にイングランドの思想潮流に迫ろうとしている。メンバーの多くが名誉革命以降、ロックと彼以降に照準を合わせていることは否定できないが、しかしモア、フッカー、フィルマー、カドワース等を扱おうとしているメンバーもいる。イングランド啓蒙と呼びうる思想運動の担い手だけでなく、その源泉や敵対者などとして位置づけられるべきかもしれない思想家をも視野に収めているのである。

 本研究会は、イングランド啓蒙が何であるかをはっきり示そうとする志をもつと同時に、それを複数形のenlightenmentsとして把握すべきものと想定している。イングランドという固有名詞は、思想家たちの共通要素を指し示すためというよりも、思想運動の生成および越境のプロセスを際立たせるための呼称である。別言すれば、啓蒙を特徴づける諸理念のいくつかの形成と伝播を説明するためには、思想形成の固有の「場」(Cf. Peter Harrison, ‘Religion’ and the Religions in the English Enlightenment, 1990)としてのイングランドを参照すべきなのである。ただし、この「場」に立ち現れる諸理念や諸言説を、雑然と並べることで事足れりとするつもりはない。イングランド啓蒙を描き出すために本研究会が選んだ三つのキーワードが、平明性、自律性、そして寛容性である。