About

ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ

ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ。 このウェブサイトは、17世紀イングランド発祥の啓蒙思想の研究および、この啓蒙運動のヨーロッパ/北米/日本への伝播・発展についての研究を促進し、広く発信することを目的としています。 従来の哲学/政治学/経済学/宗教思想とい...

2025年7月20日

第39回研究会の報告(合評会 竹中真也『バークリ 記号と精神の哲学』)

 

第39回研究会の報告

合評会 竹中真也『バークリ 記号と精神の哲学』(知泉書館、2024年) 

 

2025年 6月28日(土) 中央大学後楽園キャンパス

 

 当研究会メンバー竹中真也の近著『バークリ 記号と精神の哲学』(知泉書館、2024年) について、まず著者自身が要点を述べたあと、同じくメンバーの中野安章と青木滋之が詳細な批評を加えたうえで、参加者全員で本書の意義について議論した。メンバー以外の参加者もあり、活発な討論ができた。 

 

 著者の竹中によれば、本書のねらいは、ジョージ・バークリの哲学的全体像を、記号理論を軸に再構成することであり、彼をロックとヒュームの「中継ぎ」ではなく、独自の哲学的貢献をなしたキリスト教的プラトン主義者として読み直すことである。

 そのさい注目すべきは、バークリの記号論の独自性である。 彼は言語を、ある観念によって別の観念を「代理する」(represent)こととして、さらには代理をつうじて「示唆する」(suggest)こととして理解する(e.g. 視覚が触覚を示唆)。同様に観念は、精神の状態を代わりに表現する記号である。このような記号論にもとづいて、バークリは「意味の観念説」「意味の情緒説」「意味の思念説」を展開する。

 感覚には現れない対象の「内的構造」もまた、バークリにとっては記号的観念である。こうして粒子やエーテルといった自然学的対象を記号的に扱うことが可能になる。「感覚的観念」(物体的)、「数学的仮説」(力学的)、「精神的活動」(形而上学的)の三層の原因の考察をつうじて、バークリは自然学から形而上学へと進む。人間の精神においては、受動的な観念が能動的な精神と対比されるが、しかし同時に彼は精神の受動性(観念の無意識的な現実化)についても論じている。他方で神の精神においては、自然世界は神の精神が発する言語ないし記号として表象される。こうしてバークリは、人間精神と神の精神との同型性を、そして世界と魂との一致を、マクロコスモスとミクロコスモスのアナロジーによって提示する。

 竹中はブラダタンをも参照しつつ、バークリの記号理論がキリスト教的プラトン主義の三つの特徴をもつと結論づける。(1)神の似姿としての人間、(2)原型と模造、(3)イデアを表現する liber mundi(自然という書物)。さらに結論部では、竹中は『人知原理論』幻の第二部(倫理学)の輪郭づけを試みている。

 

  評者の中野は、竹中『バークリ』を高く評価し、あえて名越悦 『バークリ研究 非物質論の課題とその本質』(刀江書院、1965年)以来の日本語による「本格的バークリ研究」として位置づけた。

 中野によれば、本書の画期性は、キリスト教的プラトン主義と記号理論という二つの視点を交差させた点にある。先行研究、とくに(バークリ全集編者の)ルースとジェサップが定着させたパラダイムにおいては、ロックの影響が前提とされ、バークリの独自性は経験主義マイナス物質(それが懐疑主義の源泉なので)により常識を擁護したことに還元された。もっともルース=ジェサップ・パラダイムはいまや主流ではないが、しかし竹中は従来の解釈を批判するだけではなく、これに「プラトン主義」的解釈を対置したのである。

 竹中がバークリを経験主義者ではないとしたにもかかわらず、ある意味では「徹底的経験主義者」だと規定した点に、中野は着目する。プラトン流の「想起説」に通じるやりかたで生得思念説を擁護した点で、バークリはロック流の経験主義とは明らかに一線を画す。しかし竹中によれば、バークリは「思念」をもっとも「実在的」なものとして、原因や原理として、かつ「知性的で不変な存在者」として提示するに至るのである。その一方で中野は、バークリーの思念説が「内省」という出発点からどういう筋道をへて「生得的思念」に至るのかを、ロックとの対比においてより丁寧に論じていく必要があったと述べ、その観点からいくつかの指摘をおこなった。

 中野はまた、キリスト教的プラトン主義者バークリという位置づけについても、多くの面で竹中の読解に賛同しつつ、若干の留保を示した。たとえば、バークリの「世界=書物」論がプラトン主義の要素として解釈できるかどうかは議論の余地がある。中世のキリスト教的プラトン主義では「神の似姿」論と「世界=書物」論が融合していたが、しかしたとえばベーコンは「世界=書物」から「神の似姿」に到達する可能性を明確に否定していた。こうした思想史的背景をふまえつつ、バークリにおける「世界=書物」論と「神の似姿」論との関係をさらに検討する必要はあるかもしれない。

 

 もう一人の評者の青木は、竹中の研究成果をふまえて哲学史の書きなおしが必要だろうと示唆しつつ、いくつかの疑問を投げかけた。第一に、バークリのいう抽象一般観念なしでの観念の「代理」が実際には可能なのかどうか、という問いである。彼が「内包」という言葉を使うとき、それは抽象一般観念を適用することと何が違うのか。この問いに対して竹中は、観念の普遍化を代理作用=精神の能動的作用として捉えようとするのがバークリの特徴的な思考様式であることを説明した。第二に、粒子説を記号関係に還元できるのか、粒子説を採り入れながらどうして因果説を否定できるのかを青木は問いかけた。竹中は、観念の連鎖についてのバークリの議論がこの疑問を解くカギになることについて説明した。

 

 上記のほかにも、参加者からさまざまな問いやコメントが寄せられた。この日の活発な討論が、竹中『バークリ 記号と精神の哲学』の成果を物語っている。

 

 

  

2025年7月13日

第38回研究会の報告(講演会 田口卓臣)

 

第38回研究会の報告

講演会 「啓蒙」の複雑性と逸脱性を考えるために

ディドロ『ダランベールの夢』における「補遺」と〈フィクション化〉を読む

田口卓臣(中央大学文学部)  

 

2025年 4月12日(土) 中央大学多摩キャンパス

 

 この日の講演で田口さんは、ディドロを題材に、「啓蒙」を「画一的・目的論的な解釈図式から常にすでに逃れ去る思想運動」として捉える試みを提示してくださった。約20名が参加し、講演のあとにはたいへん活気ある質疑応答がおこなわれた。啓発的かつスリリングな田口さんの講演の概要は、次のとおりである。 



 講演の趣旨は、後期ディドロの代表作『ダランベールの夢』を取り上げ、フィクションを介して「哲学」を語るというその複雑な方法に着目することで、同書を「啓蒙」の複数性と逸脱性を物語る恰好の事例として示すことであった。

 単数形の「光=啓蒙」(lumière)――神の啓示や超自然的認識など、目的論的で単線的な――との対比で、18世紀のフィロゾフは複数形の「光=啓蒙」(lumières)にシフトしていったが、そこにはいわば光の屈折や乱反射もあった。そのような「啓蒙=光」の複雑さや逸脱性をきわめてよく表現したのがディドロである。

 ディドロは啓蒙を、自己自身と他者との双方の変容を同時に引き起こす場をつくりだすこととして実践した。それを浮かび上がらせるためには、彼がダランベールと編集した『百科全書』において「理性」だけではなく「想像力」「記憶」が重視されている点や、同書編集における「補遺」という方法――彼は不満の残る記事に編集者権限で介入し、時にとんでもなく長い「補遺」をつけたした――などに見られる。

 とくに注目すべきは、フィクションを介して哲学を語るという方法である。一例として、ブーガンヴィルはタヒチ航海記の「補遺」をフィクションとして書くことで、自然人の名を借りたヨーロッパ文明の批判をパロディ的に再演し、その行為自身のヨーロッパ的性質を浮かび上がらせた。

 そのようなフィクションの効果に着目して『ダランベールの夢』を読んでみる。同書は「存在の連鎖」論や「物質=運動」説(古典力学)を解体し、たとえば石にも感性があると語る(物質の運動への傾き)。分子(molécule)を流体(fluides)として捉え(分子の衝突による化学的変容への着目)、分割不能の一個体としての原子(atome)概念を批判する。そのかわりにディドロは、一なる全体=大きな個体を置く。このような思考を、彼はメタファーによるアナロジーの連鎖をつうじて推し進めていく。

 以上をふまえて言えることとして、次のような観点をとることが啓蒙研究において重要である。

 1 思想どうしの衝突をつうじた「化学的」変容に注目する。
 2 言表行為(écriture, énonciation)の効果を読む。
 3 「理性にもとづく理論の体系化」から逸脱する諸要素を読む。
 4 自己形成(formation de soi)の別様の可能性を探る(ドイツ教養小説の前史としての
仏フィロゾフの文学作品)。


 田口さんの講演は、大要、このようなものであった。とはいえ、これでは田口さんのお話の面白さがほとんど伝えられていない。

 しかしたいへんありがたいことに、田口さん自身が講演録の公刊を準備されている。 田口さんに心より感謝を申し上げるとともに、講演録を活字で読める日を楽しみに待ちたい。


  

2025年4月8日

[4/12] ディドロ『ダランベールの夢』における「補遺」と〈フィクション化〉を読む(田口卓臣)


第38回研究会

公開研究講演会

「啓蒙の複雑性と逸脱性を考えるために――ディドロ『ダランベールの夢』における「補遺」と〈フィクション化〉を読む」

 


 

■ 4月12日(土曜日)13:00-17:00

■ 中央大学 多摩キャンパス フォレストゲートウェイ F408教室
 https://www.chuo-u.ac.jp/access/tama/

13:00-13:10 趣旨説明(青木)
13:10-14:40 田口先生の講演 ※途中、小休憩を挟む
14:40-15:00 休憩時間
15:00-16:30 質疑応答
16:30-16:35 閉会あいさつ(青木)

 

■ 発表者

田口卓臣(中央大学文学部フランス語文学文化専攻教授)

 専門はディドロを中心としたフランス文学・思想。主な著書・訳書に『ディドロ 限界の思考』(風間書房), 『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ), 『ペルシア人の手紙』(講談社学術文庫), など

 

■ 発表要旨

 本発表では、「啓蒙」を、画一的・目的論的な解釈図式から常にすでに逃れ去る思想運動として捉えてみたい。その際、主に注目するのは、「フランス啓蒙」の中核を担ったディドロの思想活動である。

 とりわけ、先行の思想的文脈に「補遺」を衝突させるディドロ独自の方法、および、その方法を通じてディドロ自身にとってすら予測不能な発見を引き寄せてしまう言表行為の特徴を抽出する。その上で、後期ディドロの代表作『ダランベールの夢』(およびその先行思想の文脈)を描き出しながら、様々な解読格子を容易にすり抜けていくこの作品の魅力に迫ってみたい。

 この一連の読解作業を通じて、フィクションを介して「哲学」を語ろうとするディドロの複雑な方法が、「啓蒙」の複数性と逸脱性を物語る恰好の事例であることを明らかにできれば、と考えている。

 

 

 

2024年10月31日

第37回研究会の報告(公開学習会・イングランド啓蒙からフランス啓蒙へ)

 

第37回研究会の報告

公開学習会 イングランド啓蒙からフランス啓蒙へ——経験論、感覚論、唯物論

2024年10月6日(日) 一橋大学



 啓蒙期フランスにおけるイングランド思想の受容というテーマについて理解を深めるために、この日は「公開学習会」と銘打って、一橋大学特任教授の森村敏己さんに「エルヴェシウスにおける唯物論的感覚論」についてのお話を伺った。本研究会メンバーにくわえて、主題に関心をもつ研究者や一橋大の学生など、あわせて25名が参加した。

 イングランド啓蒙とフランス啓蒙の連続性という観点においてエルヴェシウスは、ロックの経験論をもとにコンディヤックが展開した感覚論にもとづいて、人間本性や道徳や政治についての唯物論的な学説を展開した思想家として位置づけることができる。この点について森村さんが提起した問題は、いかにしてエルヴェシウスは、観念が感覚に由来するという教説から、霊魂と物質の二元論を完全に否定する唯物論へと飛躍しえたか、ということであった。

 この問いに答えるための前提として、コンディヤックが比較の対象に挙げられた。ロックが観念の源泉として「感覚」と「内省」の二つを認めたのに対して、コンディヤックは「内省」を「感覚」に還元することによって観念の源泉を一元化した。他方で、エルヴェシウスはコンディヤックの認識論を実質的に要約するだけで、それに何も付け加えなかった。両者が分かれるのは感覚論の道徳・宗教問題への適用のしかたである。あくまでコンディヤックは、感受性を備えているのは霊魂であって感覚器官(物質)は知覚の媒体にすぎないと、またそれゆえに人間は現世のみならず来世の快苦=死後の賞罰によっても動機づけられて道徳的にふるまうと(この点ではロックにならって)主張した。ところがエルヴェシウスは、霊魂の存在と死後の賞罰をともに否定する。

 エルヴェシウスの感覚論的唯物論とは、森村さんによれば、感受性(サンシビリテ)を「特定の構造をもった」物質が帯びる属性とみなす立場である。こうして霊魂は認識論において不要となる。さらには自由意志の存在が否定され、快苦=利害関心という原因をもたない意志はありえないとされる。したがって、人を動かすのは現世的快苦のみである。しかし人間は、道徳的賞罰(公衆の評価=世論)と法的賞罰(国家)とによって道徳的行為へと動機づけられる。ただしそのためには、公衆が無知と偏見から解放されていなければならず、また国家が専制に陥らないよう公衆の政治参加が確保されている必要がある。

 こうしてエルヴェシウスの唯物論と功利主義は原理づけられている。それを彼は、主観的にはロック認識論の応用として考えていた。しかし実際にはそれを、統治の改革によって道徳的改善が必然的に達成されるという展望に結びつけたのであり、この点にエルヴェシウスの飛躍があったのである。

 以上が森村さんの講演の要旨である。これに対して、柏崎正憲(一橋大学講師)がコメントをくわえ、またフロアから多くの質問が挙がった。エルヴェシウスの第一の目的は、認識論や形而上学よりも、道徳と宗教の徹底的な峻別という(ある意味では啓蒙において典型的な)目的にこそあったと理解していいのか。エルヴェシウスの原理は道徳的次元では決定論につながるのに、どうして彼はそこから環境の改善という展望を引き出しえたのか。自由意志を否定する立場において個人の罪はどう扱われるのか。彼の功利主義はベッカーリアやベンサムのそれとどう違うか。森村さんが翻訳されたJ.イスラエル『精神の革命』について。等々。森村さんには一つ一つの質問に対して詳細かつ丁寧なご回答をいただいたので、参加者はたいへん勉強になった。

 最後に、研究会メンバーで一橋大学の卒業生でもある下川潔(学習院大学名誉教授)が、懐かしい思い出話を交えつつ、森村さんと参加者に感謝を述べ、盛会となった学習会を締めくくった。


 

 

 

 

2024年9月28日

第36回研究会の報告(Chuo Workshop on English Enlightenment 2024)

第36回イングランド啓蒙研究会(Chuo Workshop on English Enlightenment 2024)

2024/06/01,02 中央大学フォレストゲートウェイ F507教室

 

科研費基盤B「イングランド啓蒙の思想史的意義 ―拡散性とその受容の学際的研究」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23K25273/ により、ピーター・アンスティ教授(シドニー大学)を招いた国際ワークショップを2日間行った。ワークショップはすべて英語で行われた。

1日目は、Peter R. Anstey & Alberto Vanzo, Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism (Cambridge UP, 2023) をめぐって、アンスティ教授から本書の要約を話して頂いたのち、日本人研究者2名が英語でコメントや質問を行った。

2日目は、2名の日本人研究者が英語プレゼンテーションを行った後、アンスティ教授から "New Discoveries Pertaining to Locke on Natural Philosophy and Medicine" というタイトルで、クラレンドン版ロック全集の一巻(自然哲学関係の著作)について、新資料の紹介も含めて現在の編集作業について講演頂いた。

両日の発表タイトルについては、下のポスターを参照されたい。

本研究会で、初めて海外研究者を招いた研究会であったが、盛況のまま終了し、今後の展開も含めて大きな収穫と手ごたえを感じた国際ワークショップであった。

 

【会場での英語ポスター】

 

  

 【アンスティ教授によるX(Twitter)へのポスト】

https://x.com/peterranstey/status/1797617614388334666

 


2024年5月12日

第35回研究会の報告

第35回イングランド啓蒙研究会

2024/05/11 中央大学文学部3号館 哲学共同研究室


報告者  内坂翼(国際基督教大学)、青木滋之(中央大学)


 6/1,2に本研究会が主催となって開催する予定の、ピーター・アンスティ教授(シドニー大学)を招いたワークショップの打ち合わせを行った。同教授の共著 Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism (Cambridge UP, 2023) と、同教授が編纂した The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century (Oxford UP, 2013) の内容検討、紹介を行った。

 Experimental Philosophy and the Origins of Empiricism は、哲学史で言われる「イギリス経験論」は、カント以降の歴史記述が後付けで生み出したものであり、実際の歴史現象としては実験哲学の興隆や衰退が実体としてあった、と主張する。報告者はこの枠組み、大枠の主張に賛同するものであるが、他方で、思弁哲学/実験哲学の区分(ESD, Experimental / Speculative Distinction)以外の、経験や観察といった概念との比較も重要でないかと指摘した。また、標準的な歴史記述である合理主義/経験主義の区分(RED, Rational / Empirical Distinction)と、本書が提唱するESDという2つの区分の両方を理解することで、「イギリス経験論の父」がベーコンなのか、それともロックなのかという、二次文献に見られる混乱が整理できるのではないか、という見通しを述べた。

 The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century からは、アンスティ教授が執筆した "John Locke on the understanding" が取り上げられた。報告者が指摘するように、ロックの言う知性とは一体何のことであるのか、これまで先行研究ではほとんど突っ込んだ研究が行われてこなかった。それに対し、この章では、知性と意志、知性と心、知性の機能、知性の導き方、といった様々な側面からロックの知性を論じており、今後ロックの知性を論じる上での標準的な参照軸になるのではないか、と報告者は評した。

 

 

 

 

  また、今回の研究会は、6/1,6/2のプログラムについての打ち合わせも含まれていたが、Day 2の発表者の順番を入れ替える以外には、大きな変更点は必要ないことが確認された。

 


2024年3月6日

第34回研究会の報告

第34回イングランド啓蒙研究会

2024/03/03 国際基督教大学 トロイヤー記念アーツ・サイエンス館

 

報告者  柏崎正憲(早稲田大学ほか非常勤)、青木滋之(中央大学)

 

 今回は、出版に向けて準備している『啓蒙主義に先立つ啓蒙』の序論、第一部の小序についての検討を行った。序論では、1.イングランドに啓蒙はあったか、1.1イングランド啓蒙の回顧的発見、1.2啓蒙主義と複数形の啓蒙、1.3啓蒙主義に先立つ啓蒙、の箇所を通覧した上で、参加メンバーから様々な議論や提案がなされた。第一部の小序は、キーワードである「実験性・経験性」をめぐる原稿が読まれたあと、同様にメンバーから様々な指摘があった。

 序論については、「冒頭にサマリーを入れたらどうか」「もっとスリムにしたらどうか。また、登場する論者が多いので、相関図を入れた方がよい」といった指摘がなされたほか、第一部小序については、「ベーコンの経験主義批判はロックの経験主義と整合的なのか」や、「実験性から経験性へのつながりが不明瞭だ」といった指摘がなされた。

 これらの指摘や批判をふまえ、原稿を推敲した上で完全原稿を揃える日程を確認し、具体的にどの出版社に掛け合うかといった話にまで、話題は及んだ。


 会場となったICUのトロイヤー記念アーツ・サイエンス館は完成されたばかりで、モダンなつくりの素敵な建物でした。また、ここで集まって研究会を行いたいです!

 

 

 

2023年11月7日

第33回研究会の報告

 

第33回イングランド啓蒙研究会

2023/10/22 中央大学八王子キャンパス(ハイブリッド)

 

 今年度に採択された新たな科研費研究課題「イングランド啓蒙の思想史的意義――拡散性とその受容の学際的研究」における各メンバーの研究計画をたがいに報告した。イングランド啓蒙の「拡散性」および受容の過程に焦点を当てるために、さまざまな研究のアイデアが提起された。

  • 社会契約論の継承と断絶
  • 実験哲学のアイルランド、スコットランドへの伝播
  • イングランド自然神学の伝統
  • 理神論とアングリカン思想との比較分析
  • ケンブリッジ・プラトニストと大陸哲学者との関係
  • イングランド啓蒙における「愛」の思想と「ケアの倫理」の接点
  • ロック経験論からフランス唯物論へ 等々

 



2023年8月4日

第32回研究会の報告

 

第32回イングランド啓蒙研究会

2023/7/28 中央大学後楽園キャンパス(ハイブリッド開催)

 

【合評会】梅垣千尋「18世紀末の女性思想家たちにとっての「啓蒙」――ウルストンクラフト、モア、バーボールドのロック受容を手がかりに」

 

評者  柏崎正憲(早稲田大学ほか非常勤)、青木滋之(中央大学)

応答者 梅垣千尋(青山学院大学)

 

 目下編集中の論集『 啓蒙主義に先立つ啓蒙――イングランド啓蒙への学際的アプローチ』 (仮)のための寄稿依頼に応じてくれた、梅垣千尋さんの論文「18世紀末の女性思想家たちにとっての「啓蒙」――ウルストンクラフト、モア、バーボールドのロック受容を手がかりに」の合評会をおこなった。

  同論文は「女性にとって、「啓蒙」とはどのような経験であったのか」という問いに答えるために、enlighten という語がフランス革命勃発後、女性思想家たちのあいだでも多く使われるようになったことを考慮しつつ、ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)、モア(Hannah More)、バーボールド(Anna L. Barbauld)の三者におけるジョン・ロックの受容を考察し、彼女らの三者三様の啓蒙思想、啓蒙観を浮かび上がらせている。そのさい著者は、啓蒙という語にかんする「現代の恣意的な定義をいったん学び落とすことで初めて見えてくる当時の人びとの地平」に迫ろうとしている。

 評者の柏崎および青木は、梅垣論文の意義として、女性の権利・地位をめぐる啓蒙の両義性がいかに女性思想家たち自身にも影響したかに光を当てた点や、enlighten の用法を詳しく調べることにより、ある思想が本来の意図をこえて後続世代により利用されていく過程を浮き彫りにした点を、とくに高く評価した。

 そのうえで、評者2名はいくつかの質問を投げかけた。「ウルストンクラフトが普遍主義的な、モアが差異主義的な立場から女性の権利を擁護しているとして、バーボルドの立場はどう特徴づけられるか」や「どういう意味でロックは社会契約のなかに家父長制を混入させていると言えるか」といった問いである。梅垣さんからは、バーボールドの議論の非体系性やヒュームとの近さ(convention や social virtue の重視)、議論の前提に置かれる大きな概念としての「家父長制」から距離をとりつつ当時の女性思想家たちの言葉づかいに寄り添うというアプローチ、等々について、示唆に富む返答をいただいた。

 ひきつづき他の参加者からも質問や論点提起があった。ハナ・モアの保守的な女性論を啓蒙的と呼びうるかどうか(女性の劣位にかんするキリスト教の伝統的観念を逆手にとる彼女の議論の性格をどう規定すべきか)、ウルストンクラフトとモアは対極的なようでいて反ルソー陣営としては共通性があるのではないか、等々、興味深い論点をめぐって議論が盛り上がった。

 


   



2023年5月28日

第31回研究会の報告

 

第31回イングランド啓蒙研究会

2023/5/14 オンライン

 

 報告者: 青木滋之、柏崎正憲、武井敬亮

 論集『啓蒙主義に先立つ啓蒙――イングランド啓蒙への学際的アプローチ』(仮)について、あらかじめメンバーから原稿を集めたうえで、編集者三名が執筆状況の報告および論集の構成の提案をおこなった。

 本論集は三つの部に分かれるが、当初は第1部「平明性・実験性」、第2部「自律性・自立性」、第3部「多元性・寛容性」という標題を考えていたところ、できあがった原稿を検討したうえで、とくに第1部と第3部は標題の変更を検討することにした。第2部についても、構成(論文の順序)を変更することなどを決めた。

  向こう数か月のあいだに編集作業を完了することが目標である。


 その後、今後の共同研究の進め方、とくに向こう一年の方針について討議した。

 なお、これまで本研究会の財源となっていた科研費研究課題「イングランド啓蒙への学際的アプローチ――「開かれた理性」の復権を目指して」は2022年度で終了したが、しかし2023年度から4年間の新たな研究課題「イングランド啓蒙の思想史的意義――拡散性とその受容の学際的研究」が幸運にも採択された。