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ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ

ようこそ、イングランド啓蒙研究会のウェブサイトへ。 このウェブサイトは、17世紀イングランド発祥の啓蒙思想の研究および、この啓蒙運動のヨーロッパ/北米/日本への伝播・発展についての研究を促進し、広く発信することを目的としています。 従来の哲学/政治学/経済学/宗教思想とい...

2023年1月6日

第29回研究会の報告

 

第29回イングランド啓蒙研究会

2022/11/20 中央大学

 

 社会思想史学会の第47回大会(専修大学、10月15日午前)でおこなった本研究会のセッション報告「イングランド啓蒙への視角――平明性、自律性、寛容性」をふまえて、同セッションの報告者三名が、論文集の全体的な構想および各部の構成にかんする草稿を発表した。

 報告者: 青木滋之、  武井敬亮、柏崎正憲


 1.論集の標題: メンバー沼尾恵の発案を受けて『啓蒙主義に先立つ啓蒙——イングランド啓蒙への学際的アプローチ』という仮題を考えている。

 

 2.論集の構想: イングランド啓蒙という研究分野がなぜ成立するか、その研究にはどんな意義があるかについて論じられた、論集の序論にあたる文章の草稿を発表。 

 【武井報告】 イングランド啓蒙という主題は、近年の研究における伝統的啓蒙観の見直し、とくに啓蒙の複数性が前提とされるようになったことの一帰結である。イングランドという場で一つの主軸をなしたのは、宗教的熱狂に対する世俗的権威および個人の保障を問題にしたアングリカンと、この問いに対して別な回答を提示した理神論者との対立である。

 【青木報告】 啓蒙の語義の拡散を避けるため、単数形のthe Enlightenmentに、人間の現世的境遇のよりよい理解と改善とを目指した「18世紀に特徴的な知的運動」(John Robertson)に照準を絞ることは、一つの方法ではある。しかし、思想史のみならず社会史の研究成果をふまえつつ、啓蒙を「より幅広い知の発酵現象」(Roy Porter)として、またしたがって複数形のenlightenmentsとして捉えるならば、そのなかにはロックやトーランドのような思想家も「プレ啓蒙」ではなく啓蒙の一要素として含められるはずである。
  


 3.各部の構成: 論集は「平明性、自律性、寛容性」をそれぞれ標題にかかげた三部構成にすることを計画している。各部の導入にあたる文章の草稿を発表。

  【青木報告】 経験と「記述的で平明な方法」による真理への接近を旨とする「実験哲学の精神」の生成と展開を、「啓蒙」という標語以前の啓蒙的運動として見るべきこと。イングランドの王立協会からジョン・ロック『人間知性論』をへてダブリン哲学協会にいたるまでの概観。

 【柏崎報告】 人間の知的自立と道徳的自律とを、カントにいたる啓蒙思想家たちに先駆けて基礎づけたのがジョン・ロックである。かれの哲学および政治学に触発されながら、すでに17世紀末のイングランドにおいて、宗教的および政治的な啓蒙のムーブメントがトーランドおよびモリニューとともに始まっていること。

 【武井報告】 イングランド啓蒙における保守的・アングリカン的な主題であった宗教的熱狂を、理神論者のアンソニー・コリンズもまた強く意識しており、それゆえに自由思想こそが寛容を促すという議論を展開したこと。このような理神論の展開に、イングランド啓蒙の特徴的要素としての寛容性の発展を見ることができること。




2022年10月2日

第28回研究会の報告

 

第28回イングランド啓蒙研究会

2022/9/25 オンライン

 

 社会思想史学会の第47回大会(専修大学)で、10月15日(土)午前に、本研究会が「イングランド啓蒙」にかんするセッション報告をおこなう。論文集の公刊という目標を念頭におきつつ、イングランドにおける啓蒙とは何であったか、本研究会はいかにしてそれにアプローチしようとしているかということを提示することが狙いである。

 大会概要(社会思想史学会ウェブサイト http://shst.jp/home/conference

 

 この日の研究会では、報告者3名が、社会思想史学会でのセッション報告の草案を発表し、他のメンバーから意見をもらった。

 セッション報告の要旨を、以下に掲載する。

 


 

イングランド啓蒙への視角――平明性、自律性、寛容性

[世話人・司会] 柏崎正憲(早稲田大学・非常勤)
[報告者] 青木滋之(中央大学・非会員)、武井敬亮(福岡大学・非会員)、柏崎正憲
[討論者] 沼尾恵(慶応義塾大学・非会員)

 イングランド啓蒙研究会は、2018年6月に発足し、2019年度からは科研費研究課題にも採択され、精力的に研究活動を続けている(ウェブサイトはhttps://english-enlightenment-f-j.blogspot.com)。社会思想史学会においては、2019年大会でも「イングランド啓蒙における理性行使の徹底化」と題したセッション報告をおこなったが、今回のセッションでは、本研究会の主題それ自体にかかわる基本的な問いを提起したい。すなわち、イングランド啓蒙とはそもそも何か、そう呼ばれるべき思想の特徴や思想家群をどう識別すべきか、イングランド啓蒙なる研究分野は成立しうるのか、という問題である。

 「スコットランド啓蒙に比べてイングランド啓蒙は研究者の間で合意がない」とは、2017年大会のセッション報告にもとづく改稿論文での田中秀夫氏のコメントである(愛知学院大学『経済学研究』第5巻第2号所収)。たしかに、イングランドが初期啓蒙の舞台や啓蒙思想の源泉であったと主張しても反論されないだろうが、イングランド啓蒙が「何であるか」とか「いつはじまったか」とかを決めようとするやいなや、意見は割れるだろう。混乱を避けるためには、まず何を啓蒙と呼ぶかについて合意に至るべきだが、そのこと自体が容易ではない。理性や急進主義といったフランス啓蒙寄りのキーワードによっても、保守的啓蒙などの代案によっても、イングランド啓蒙なるものの特徴を部分的にしか描きえないからである。田中氏が提案したように、その「主流」が「急進」から「保守反動」、再度の「急進」から「穏健」、「保守」へと推移したこと自体に、その特徴を見出すべきかもしれない。

 だが、イングランド啓蒙の「主流」と呼びうるものが何かを見定めるためにすら、なすべきことはまだ多いだろう。本研究会は、共同研究の強みを生かして、多様な専攻分野、多様な視点から、多様な題材にそくして、学際的にイングランドの思想潮流に迫ろうとしている。メンバーの多くが名誉革命以降、ロックと彼以降に照準を合わせていることは否定できないが、しかしモア、フッカー、フィルマー、カドワース等を扱おうとしているメンバーもいる。イングランド啓蒙と呼びうる思想運動の担い手だけでなく、その源泉や敵対者などとして位置づけられるべきかもしれない思想家をも視野に収めているのである。

 本研究会は、イングランド啓蒙が何であるかをはっきり示そうとする志をもつと同時に、それを複数形のenlightenmentsとして把握すべきものと想定している。イングランドという固有名詞は、思想家たちの共通要素を指し示すためというよりも、思想運動の生成および越境のプロセスを際立たせるための呼称である。別言すれば、啓蒙を特徴づける諸理念のいくつかの形成と伝播を説明するためには、思想形成の固有の「場」(Cf. Peter Harrison, ‘Religion’ and the Religions in the English Enlightenment, 1990)としてのイングランドを参照すべきなのである。ただし、この「場」に立ち現れる諸理念や諸言説を、雑然と並べることで事足れりとするつもりはない。イングランド啓蒙を描き出すために本研究会が選んだ三つのキーワードが、平明性、自律性、そして寛容性である。


 

2022年10月1日

第27回研究会の報告

 

第27回イングランド啓蒙研究会

2022/7/24 福岡大学

論文集の原稿準備のため、以下の2名が研究発表を行った。


内坂翼「イングランド啓蒙における自由論の展開」

 イングランドの哲学者ジョン・ロック(John Lock, 1632-1704)は、「理性と判断力を備えた自由な行為者」という近代的人間像を打ち出し、「啓蒙の偉大な先駆者」 (the Enlightenment’s great progenitor)という位置づけを与えられてきた。チャールズ・テイラー(Charles Taylor)が『自我の源泉——近代的アイデンティティの形成 Sources of the Self: The Making of the Modern identity 』で論じているように、ロックが「啓蒙の偉大な教師」となったのは、新たな学知を自我の理性的制御という理論と絡めた上で、理性的な自己責任という理念のもとに、これら二つを統合したからである 。テイラーによれば、自己に対して距離を置いた規律ある態度を強調するロック的な人間像が強い影響力を及ぼし、啓蒙期には軍や病院や学校において官僚的支配や厳密な組織化が進み、規律的な実践が広範囲に発生したのである。

 本発表では、『人間知性論 An Essay Concerning Human Understanding』(1689) の中で「最も複雑な、難解な、かつ重要な章」 であるとされる第二巻第二十一章「力について Of Power」に焦点を当てた。初版において、「自由Liberty」とは障害が欠如した状態で行為者が意志した行為を決定する力であり、意志の選択は「善の外観the appearance of Good」あるいは「より大きい見かけ上の善the greater apparent Good」に左右される、とロックは論じていた。しかし、第二版でこの章は大幅に改訂され、初版で47節あった章が第二版で73節にまで増えて内容も一新されることとなる。

 第二版の改訂において、ロックは「落ち着かなさ」(Uneasiness)、「保留」(Suspension)、「検討」(Examination)、「判断」(Judgement)という視点を導入し、道徳的責任を自己決定の能力と結びつけた。要約すれば、「自由の目的と使用」とは、こうした欲望や落ち着かなさを保留した上で、次の三段階の過程に基づいた判断をすることとなる。(a)まず差し迫った落ち着かなさや眼前の願望をいったん保留し、意志の決定や行為からそれを遠ざける。(b)次に、長期的視点からの幸福あるいは遠くの善を見据えた上で、知性が他の選択肢を比較検討し熟慮する。(c)目の前にある落ち着かなさや欲望を統御し熟慮した上で、行為者の善を最大化する行為を判断する。

 報告に対する応答や質疑では、ロックの自由論の執筆意図や改訂意図を探るための書簡研究や『人間知性論』草稿研究の必要性、ロックの自由論改訂に影響を与えたとみられるカドワースの自由論草稿とのさらなる詳細な比較検討の必要性、自由論とイングランド啓蒙の関係などが議論の対象となった。



田子山 和歌子「啓蒙時代以前の光 リチャード・フッカーにおける理性主義」

 イングランド啓蒙の特質である〈理性主義〉とはどんなものだったか。

 この問題の考察の一環として、本発表では、イングランド啓蒙の源泉のひとつと思われる、アングリカニズム(イングランド国教会主義、英国教会主義ともいわれる)に焦点を当て見ていった。なかでも、本発表が中心としたのは、アングリカニズムの立役者のひとりである、16世紀末の思想家リチャード・フッカーの〈理性主義〉を、同時代のピューリタンの啓示・聖書主義と比較しつつ見ていくことである。それは、フッカーの場合も、近代の啓蒙主義の場合も、おなじく〈理性主義〉を掲げていながらも、啓示・聖書主義にどう対峙するかによってかなりの差があるからにほかならない。

 結論から言えば、近代啓蒙主義における理性は、啓示や聖書といった、理性を超えた超自然的・神秘的な真理を、〈批判〉することによって、自らに対立する非合理的なものとして排除するが、フッカーにおける理性は、啓示・聖書を〈批判〉対象にすることはなく、啓示・聖書を排除することはない。むしろ、フッカーにおいて、理性と啓示・聖書は〈補完〉ないしは〈受容〉関係にある。それは、フッカーにおいて、理性は、神秘的領域という真理も受け入れるほどの広大な真理受容機能をもつことで、理性は、聖書や啓示を孤立した知の体系として排除することなく、聖書や啓示と補完しあうことで、聖書や啓示を知のネットワークの一環として取り込んでいく傾向を持つのである。

 本発表では、こうしたフッカーの理性観の特徴を、フッカーと同時代の、おなじくアングリカニズムを支えた一翼であった、ピューリタンの啓示・聖書主義とも対比することで明らかにした。

 ピューリタンの啓示・聖書主義においては、理性は排除されるべきものであり、フッカーと対照的だった。しかしながら、このように対照的な関係にありながらも、フッカーの理性主義は、一方で、ピューリタンの啓示・聖書主義と、共通の人間観、すなわち、人間は完全に堕落しており、理性も無力であることから、人間は決して自力では救済が望めないのだとする、アウグスティヌス以来の〈全的堕落〉の人間観を共有していたのである。聖書や啓示のような神秘的真理も、すべて受容して、知のネットワークの一環として取り込んでいくのだとする、フッカーの〈理性主義〉も、そのような真理を自力では推論を通じて把握することはできないという、理性の無力を認めたところからでてくるものだからである。

 このようにフッカーの理性主義は、同時代のピューリタンの啓示・聖書主義と対照的な関係にありながらも、一方で、理性と啓示、自然と恩寵といった問題意識を共有しつつ、アングリカニズムをともに形成していったといえる。

 こうしたアングリカニズムの観点は、イングランド啓蒙の特質を見るうえでも、また、イングランド啓蒙と従来の近代啓蒙主義との関連を見るうえでも、欠かせないものとなろう。なぜなら、理性と啓示、自然と恩寵という問題は、アングリカニズムにも、イングランド啓蒙においても、途切れることなく流れているからである。

 イングランド啓蒙につらなる諸思想家からすれば、それぞれにとって理性とはどのようなものだったか、あるいは、啓示・聖書とはどのようなものだったか。これらを見るうえで、アングリカニズムの二大潮流である、ピューリタンの啓示・聖書主義と、フッカーの理性主義は、おおきな参照枠になることはたしかである。すくなくとも、イングランド啓蒙の姿を、洞窟の中に浮かぶ影のように浮かび上がらせる〈光〉になるのではあるまいかと、期待されるのである。



2022年5月17日

第26回研究会の報告


第26回イングランド啓蒙研究会

2022/5/15 オンライン

論文集の原稿準備のため、以下の3名が研究発表を行った。


小城拓理「フィルマーの契約論批判再考」

 一般的にはフィルマーの政治理論は王権神授説と家父長主義の結合とされてきた。つまり、フィルマーの政治理論とは神がアダムに全世界を支配する権力を与え、それが代々家父長に継承され、国王の権力に繋がるというものである。そして、このようなフィルマーはロックによって論駁されたと考えられてきた。確かに、以上のようなフィルマー自身の政治理論は思想史的にはともかく、今日では顧みる価値は無いかもしれない。実際、第二次世界大戦後にフィルマーの著作集を校訂したラズレットもサマヴィルもそのように考えているように見受けられる。

 しかし、フィルマーの主張は多岐に渡っており、その一つである契約論批判の現代的意義を強調する研究もある。そこで、本報告はフィルマーの契約論批判を整理した上で、これに対してロックがどのように応答したかを確認することを目的とした。

 本報告の前半ではフィルマーの契約論批判が整理された。フィルマーの契約論批判は二つに大別できる。第一に同意論批判である。これには二つあった。第一に同意の歴史的実在性に対する批判である。つまり、歴史的に見て同意など存在しないという批判である。

 第二に暗黙の同意に対する批判である。これは、暗黙の同意はどんな統治も正当化してしまうという批判である。フィルマーの契約論批判の二つ目は民主政批判と呼ぶべきものである。これも二つあった。第一に多数決批判である。フィルマーは多数決を否定する。というのも、生まれつき自由な人間によって形成される社会で何かを決定する際には全会一致しかありえないからである。第二に抵抗権批判である。フィルマーに言わせれば抵抗権を容認することはアナーキーを招来する。さらに、人間の自由を前提にすれば同意の拒否や撤回を認めることになり、これもまたアナーキーを招来する。

 本報告の後半では以上のフィルマーの契約論批判に対するロックの応答を見た。まず、同意論批判のうち第一の批判に対してロックは同意によって成立した統治の実例を枚挙する一方、事実と規範とを峻別することで退けようとしていた。続いて第二の批判に対してロックは、同意の与え方と同意内容が自然法の規制を受けることを示すことで反論していた。つまり、自然法を前提にする限り暗黙の同意は統治のデ・ファクトな正当化論には陥らないのである。次に民主政批判に対する応答である。

 第一の多数決批判に対しては、ロックは多数決の必要性を強調する一方で、最初の同意内容に多数決の受け入れを盛り込むことで正当化していた。第二の抵抗権批判では統治と社会を区別することでフィルマーに応じていた。さらに、人間の生来の自由を前提にしたとしてもフィルマーが懸念するようなことにはならない。というのも、加入を拒否する独立人であったとしても自然法を遵守する義務があるからである。また、離脱の自由に関しては社会に加入する際の最初の同意内容によってこれを認めないことでロックは対処できる。

 このように見ると、『統治二論』第二篇もまたフィルマーを意識したものであったことが理解できるだろう。そして、以上のようなロックの応答がフィルマーの批判を本当に克服できているかどうかを探ることは我々の課題として残されている。


沼尾恵「ロックとヴォルテールの寛容論の比較」

 本報告は、ロックとヴォルテールの寛容論の比較をとおして、イングランド啓蒙の実態の一断面を明らかにしようとする試みが、いかなる前提のもとに成り立っているもので、またいかなる意義をもつものなのか検証した。一見わかりやすい比較が、実はいくつものことを前提としており、結果、比較の意義が限定的なものにな ってしまうという懸念があることを議論した。

 たとえば、ロックとヴォルテールを比較するということは、両者がなんらかの形でイングランド啓蒙とフランス啓蒙をそれぞれ代表できる思想家であるということを前提としており、言いかえれば、ロックとヴォルテールをみることによってそれぞれの啓蒙の特徴をなにかしらはつかめるということを前提としていることである。これは、明らかにすべきイングランド啓蒙の実態になにかしらのイングランド啓蒙観を持ち込んでいることを意味している。それでは、そうしたイングランド啓蒙観はいかなるもので、いかなる正当性があるのか。こうした観点は、プロジェクトのメンバー間でどの程度共有しており、共有すべきものなのか。こうした疑問を挙げた。

 つぎにロックとヴォルテールの比較において、いかなる観点を採用できるのか検討した。ロックなど初期の啓蒙思想家たちが寛容論を理論化し、フランスの啓蒙思想家たちは寛容を理論化するというよりそれを広めることに力を注いだという活動の違いという観点をまずとりあげた。その後、啓蒙の布教活動的観点だけではなく寛容概念の違いに注目した理論的観点の検討もおこなった。結論としては、活動的な違いというテーゼに近い結論にいたった。

 こうした結果を受け、いかにすればイングランド啓蒙の特徴がわかるのかという方法についての議論ではなく、内容に踏み込んだものがよりふさわしいという意識から、あらためてロックとヴォルテールの比較の意義がどの程度あるのか問い、同時に比較をともわないロックの寛容論の解説に、どれだけの意義があるのか、他のロックの解説書との差別化の方法について検討した。

 


青木滋之「イングランド啓蒙」に賛成/反対の二次文献の紹介

 「イングランド啓蒙」と(後世から)呼ぶことのできる啓蒙活動の運動があったのかについて、「イングランド啓蒙」(あるいは「ブリテン啓蒙」)という言葉を広めた元ネタである Roy Porter, Enlightenment: Britain and the Creation of the Modern World, 2000 を中心に、ポーターの他の著作、Very Short Introduction シリーズの一冊であるロバートソン、近著の生越を取り上げた。

 ポーターによれば、啓蒙主義を考えるにあたって、フランスのフィロゾーフを中心に展開され、フランス革命で頂点を迎えたとされる the Enlightenment ではなく、不定冠詞の複数形である enlightenments を考えなければならない。とりわけ、モンテスキュー、ヴォルテールといった啓蒙主義を代表する思想の背景には、コーヒーハウスでの自由闊達な議論を起点としたイングランドでの草の根運動があったことが重要であるとポーターは指摘する(20年前のポーターの著作だけでなく、近著の M.Jacob, The Secular Enlightenment, 2019 などもこうした見解を共有しているように思える)。とくに、18世紀の始めの1/3は、イングランドの思想家による書き物や活動が実質的に支配的であり、ここを発信源として啓蒙主義の運動はスコットランドやフランスに広まっていったのだから、English Enlightenment = British Enlightenment と言い切ってもよいのではないか、とまでポーターは主張している。

 こうしたポーターの見解に対して、ロバートソンは「そうした緩い定義を採用すると、あれも啓蒙、これも啓蒙」といった状態になりよくない、the Enlightenment を中軸に据えて議論しないといけない、と主張する。ここには、啓蒙主義を不定冠詞で考えるべきか、定冠詞で考えるべきか、という括り方の問題がある。

 研究会でも、下川教授から、イングランドとスコットランドを一緒くたにする議論は乱暴で受け入れられない、という指摘があった。ポーターの「ブリテン啓蒙」には、スコットランド啓蒙の研究者からの反論もある。しかし生越は、近著において「評価の違いはあるものの、イングランドにおいて「理性の自由な使用」、「専制権力からの解放と政治的自由の実現」、「宗教的寛容」という、啓蒙の三要件が最初に実現したのは事実であり、これを「プレ啓蒙」「初期啓蒙」「イングランド啓蒙」ないし「ブリテン啓蒙」と呼ぶかどうかは別として、啓蒙の始まりとみなすことに誰も反対しないだろう」と指摘する。発表者である私も、こうして見解を共有するものである。




2022年4月27日

第25回研究会の報告

   

第25回イングランド啓蒙研究会

2022/3/27 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、以下の3名が研究発表を行った。


瀧田寧「何が自立を可能にするのか ロックにおける「試みること」の意義」

 ロック知識論の特質を示すキーワードの一つに、「白紙」がある。人間の心は、もともと「白紙」のように具体的な文字が何も書き込まれていない状態、つまり具体的な何かに縛られていない状態であるのに、自らの知性で事物を判断するようになる頃には、いつの間にかさまざまなものに縛られている。知性がそうしたさまざまなものに縛られることなく、それらから自立して、自らの力を総動員した成果として知識の確実性を知覚したり、意見や信念の蓋然性を判断したりしていくべきである、ということが、ロック知識論の意義の一つと考えられる。

 そこで本報告では、まずロックが知性の自立のために考慮すべきこととして、主にどのようなことを述べているのかを挙げていった。次にそれらを、17世紀の半ばにフランスのポール・ロワイヤルの人々によって書かれた『論理学、別名思考の技法』のうちに見られる人間観と比較した。その結果両者には、「他者の見解に縛られたり鵜吞みにしたりするのではなく、また自らのうちに湧き起こる情念に流されることもなく、真理そのものに対し自らの多角的思考を働かせて確実性や蓋然性を判断できるよう知性を鍛えるべきである」という類似点が見いだされた。

 ところで、ロックが知性の自立のために考慮すべきことを述べた箇所として上に挙げたものの一つに『人間知性論』第2巻第21章があるが、その章は、第2版で初版の見解に修正が加えられ、大幅な追加がなされている。その修正点とは、「大きい方の善が、意志を決定する」という説を初版では当然としていたが、第2版では、「大きい善に釣り合って起こった欲望が、善のないことに私たちを落ち着かなくさせないうちは、善は意志を決定しない」という結論を導くことになった、ということである(2-21-35)。つまり、善と意志との間に「落ち着かなさ[uneasiness]」を挿入することになったのである。この追加箇所の内容は、『論理学、別名思考の技法』のうちに類似点を見いだすことが難しい。

 そこで本報告では、この追加箇所を中心に取り上げ、「快」の欲望としての「落ち着かなさ」がどのような行為へと人間を駆り立てていくのかを検討した。そのうえで、その実践編がどのように描かれているのかを、同時期に書かれた『教育に関する考察』第3版の追加部分や、その後に書かれた『知性の正しい導き方』の中に見ていくこととした。

 その結果、「快」の欲望としての「落ち着かなさ」が人間を「試みる」という行為へと駆り立てること、またその「試みる」という行為が出発点となって思考が始まり、やがて遠い目標を観想できるようになること、以上二点がロックの考え方の特徴として浮き彫りにされた。これらを踏まえると、知性の自立が可能になるのは、人間が「知る」ことの快さを欲して「試みる」という行為へと駆り立てられ、「試みる」という行為と「知る」という快の思考との往還のうちに徐々に遠い目標への観想が生みだされ、ついにその観想された目標と照合しながら目の前の事物を判断できるようになるときではないか、という結論が導かれた。



下川潔「トマス・ペインと新しい自然権概念 ロック自然権概念のラディカルな変容」

 18世紀ヨーロッパ啓蒙の時代に自然権概念が二つの革命とともに歴史の表舞台に登場し、第二次大戦後にそれが人権として世界人権宣言の中で再生したにもかかわらず、啓蒙の自然権概念の特質やそれ以前の自然権概念との差異については、あまり研究がなされていない。本発表では、啓蒙の祖ジョン・ロックの自然権概念が、どのような過程をたどって変容し、18世紀末のトマス・ペインにおける「人間の権利」の概念が成立したのかを解明することを目指す。その第一歩として、ペインの自然権権利の概念を同定し、ロックの自然権概念との比較を試みたい。

 ウルストンクラフトやリチャード・プライスの場合とは異なり、ペインにおいては、比較的容易に、自然権概念に焦点をあわせることができる。『人間の権利』第一部(1791年)によれば、人間の権利ないし自然権が何であるかを知るためには、人間が神によって創造された時点に遡らなくてはならない。創造の時点では、人間の単一性ないし平等性があり、男女の区別が唯一の人間における差異であった。「自然権とは、生存しているという理由で人間に属している権利のこと」であり、その権利は二種類に分かれる。第一に、「あらゆる知的な権利、ないしあらゆる心の権利」があり、第二には、「他人の自然権を損なうことなしに、自分自身の快適さと幸福を求めて、個人として行為するあらゆる権利」がある。前者は、良心の自由、信教の自由、思想・学問の自由、表現の自由、出版の自由などの精神的由への権利を含み、後者は、人身の自由、財産を処分する自由をはじめ、あらゆる行為の自由を、他者の自由を侵害しないという条件のもとで認めている。

 ペインによれば、第一種の権利は、社会の力を借りずとも、個人が自らの力を使って行使できるのに対して、第二種の権利に関しては、それを行使、執行するためには、損害賠償の場合のように社会の援助が必要となる。そのため、社会を形成する際に個人は第二種の権利の一部を社会に譲渡し、寄託することになる。ペインはさらに、フランスの「人間と市民の権利の宣言」(1789)の条文に即して、自然権の説明を補足する。その宣言の最初の三条は、人間の自然権と国家の一般規定であり、他の条文はその具体的説明だとし、特に第4条が行為の自由への権利を定め、第10条や11条は、良心の自由、信教の自由をはじめとする精神的自由への権利を定めていると指摘する。

 このような自然権理解は、ロックのそれと比べて、いくつかの点で明確に異なっている。両者とも自然権概念を神と結びつけてはいるが重要な差異が存在する。

  1. ペインが精神的自由と(物質的な)行為の自由の両者を自然権として捉えたのに対し、ロックは、主要な自然権を、各人の「生命」、(人身の)「自由」、(労働や貨幣で築いた)「財産」という現世の三つの財への権利に限定し、良心の自由(ないし信教の自由)をこの種の自然権から排除し、統治者や隣人の宗教的寛容の義務によって実現するような、単なる消極的自由として扱った。
  2. ペインの行為の自由への権利は、ロックが自然権の大枠として採用したプロパティ(排他的支配権)という枠組を取り払ったうえで成立する権利であり、この点でジェファソンやビュルラマキの幸福追求権に類似し、また、ミル的な危害原理を明確に取り入れている。
  3. ペインは、寛容を不寛容の偽造品として批判し、寛容の義務ではなく、万人の自然権として、良心の自由や信教の自由を弁護しており、この点でおそらく大きな現代的意義ももつと思われる。
 以上の比較をさらに思想史的に肉づけし、ペインの『人間の権利』第二部(1792)に即して自然権と万人の幸福の関係を解明し、『農地の正義』(1797)における土地所有権の位置づけを考察すれば、ペインの自然権概念は、ロック自然権がラディカルに変容したものとして浮か上がるだろう。



武井敬亮「トーランド以降の理神論の展開 ジョン・ロックの「理性」認識を起点に」

 本報告では、アンソニー・コリンズの『理性の使用に関するエッセイ』(以下、『エッセイ』)An Essay Concerning the Use of Reason (1707)の分析を通じて、ロックの「理性」認識を援用する“理神論者”の議論が、ロックの立場からすれば、意図せざる結果として、合理化(=理神論的傾向が強化)されていく思想伝播の在り方(=啓蒙思想の展開)の一端について考察した。

 コリンズは、「理性Reason」という言葉を、「命題を構成する諸観念の必然的な、あるいは、蓋然的な一致・不一致」によって「命題の真偽や確実性・不確実性を知覚する知性の働き」と定義する(pp. 3, 4)。その上で、①直感的に知覚する場合、②中間的な観念を媒介にして知覚する場合、③他者の証言によって知覚する場合について考察する。コリンズが特に注意を向けているのが③である。その理由は、コリンズが、「啓示宗教の信仰は[聖書の]証言にもとづいている」と考えていたからである(p. 7)。当時、信仰の対象(具体的には三位一体)の真偽をめぐって論争が繰り広げられていたことが背景にある。

 次に、コリンズは、「理性を超えたabove Reason」の意味について、①その対象を自分の能力で直接に知覚できない場合、②その対象と完全に一致する観念を私たちがもたない場合、③対応する観念を私たちがもたないにもかかわらず同意(信仰)の対象とする場合、について考察する。①の場合、私たちが直接に知覚できないもの(その意味で「理性を超えた」もの)であっても、第三者の助け(証言を含む)によって、それを知覚することができるという。この議論は、聖書における奇跡についての証言も、理性による判断が可能であることを含意する。②の場合、その対象自体が「無nothing」であり、認識の対象にならないという。③の場合、三位一体を例に、自身の証言に関する議論に依拠しながら、同時代の神学者による解釈を論駁することによって、それが同意(信仰)の対象にならないことを示す。

 以上の議論から、コリンズは、ロックの認識論を援用しながら、すべての命題を理性の対象に含め、その真偽、確実性・不確実性を判断することが可能であると主張していることが分かる。特に、コリンズが「理性を超えたabove Reason」の意味について考察する中で、第三者の助け(証言を含む)によって、理性の対象に含める議論をしている点や、私たちが対応する観念をもたないものを認識の対象から切り捨てるラディカルさをもっている点が特徴的である。こうしたコリンズの議論は、その後の理神論の流れの中で受け継がれていくことになる。今回の報告では、コリンズの『エッセイ』のテキスト分析を主に行ったが、コリンズの議論の同時代的な意味について掘り下げていくことが今後の課題となる。




2022年3月10日

第24回研究会の報告

  

第24回イングランド啓蒙研究会

2022/2/26 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、また、日本イギリス哲学会第46回研究大会(2022年3月19-20日)でのセッションの発表準備も兼ねて、以下の3名が研究発表を行った。


内坂翼「ジョン・ロックの認識問題 実体論の展開」

 本報告では、ロックの「実体(Substance)」の観念に対し、感覚経験と理性という二つの側面からアプローチし、アリストテレス主義に基づいた旧来のスコラ哲学の実体概念を、初期近代のロックがどのように解体していったのかを論じた。

 『人間知性論 An Essay Concerning Human Understanding』(1689)において、ロックはスコラ哲学者たちに度々言及し、スコラ哲学における論争が人類の知識の発展を阻害してきたことを強調していた。ロックによれば、実体の観念は、それ自身で存在する個別のものを表象する単純観念の集合体である一方で、想定された観念あるいは混乱した観念とみなされていた(Ⅱ, xxi, §6)。複雑観念である個別の実体概念は不明瞭で不可知なものであり、感覚器官による経験と観察から習慣的に想定されているだけの基体として位置づけられることとなる(Ⅱ, xxiii, §3)。

 他方で第四巻では、感覚と反省に代わって「直観(Intuition)」が知識の本来的基礎として位置づけられる(Ⅳ, ii, §1)。知の客観性は、観念のあいだに成立する必然的かつ不変の関係である普遍妥当的規則に担保される。「実体」という存在の一般像においても、外的現実には一定の確固たる不変の構造があるという確信が働くとされる(Ⅳ, vi , §11)。

 本報告では、ロックの実体観念がアリストテレス以来の実体論を批判的に継承しつつ、経験と観察にもとづく近代科学の礎となる実体論を新たに展開しようとしていたという点を考察した。

 報告後の質疑では、ロックの批判対象であったアリストテレスの実体論が議論の対象となった。また、ロックが想定した実体は四種類あり、スティーリングフリートとの論争を踏まえて、実体論と粒子論の関係を明らかにしていく必要性が提起された。



竹中真也「カドワースの人間観 理性のありかたによせて」

 本報告は、カドワースの人間観を、主要著作や遺稿に基づいて、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」というキーワードを軸に検討した。

 『宇宙の真の知的体系』における「形成的自然」は、身体の部分の形成と、全体の有機的統一を目指しているとともに、まばたきや呼吸や心筋の運動などを担う生命活動を支える原理である。これは動物的欲求ともかかわる。『永遠で不動の道徳論』における「知性認識」は、人間が神の精神のうちのイデアの認識活動を分有することによって成立する。とはいえわれわれの知性認識は、神の活動の部分的な限定を受けた模造にとどまる。善悪も、この知性認識に関わる。

 他方で、カドワースは、『自由意志論』を軸とした遺稿において、善と悪について、われわれには道徳的善悪に関する独特の感情ひいては「愛」という「本能」(「優れた理性」とも呼ばれる)があると論じる。なお、この「本能」を発揮するさいに「自由意志」と「恵み」が関与する。

 このようにカドワースは、「形成的自然」、「知性認識」、「愛」という少なくとも三つの観点から人間を説明する。しかしながら、これらはひとつひとつが切り離されて活動するわけではなく、全体としてひとつである。

 こうした全体的構図において、理性の位置づけを本報告では最後に示した。



中野安章「聖書釈義と自然哲学 W.ウィストンのニュートン主義自然神学」

 自然神学は広い意味では人間の自然理性に基づく神学、より狭い意味ではデザイン論に基づく神の存在証明を指す。しかし、17世紀後半のイングランドで新しい自然哲学と並行して興隆した自然神学には、デザイン論には納まらない種類のものがあり、それはとりわけ地球理論に関わるものに見られる。

 中野による本報告は、ウィリアム・ウィストン(1667-1752)の『地球の新理論 A New Theory of the Earth』(1696)を取り上げ、そこに見られる自然哲学と聖書釈義を結合させる特異な自然神学の新しさと、その意義について検討した。

 ウィストンが『地球の新理論』で目指したのは、聖書解釈という枠組みの中で、創造から終末までの地球史を、聖書の記述の「字義的(歴史的)」意味によって解釈し(この聖書解釈という点で啓示神学の関心と重なる)、しかもニュートンの自然哲学の理論を用いてそれを「哲学的に」説明すること(この点が自然神学である)にあった。

 これはアウグスティヌスの古来よりキリスト教自然神学の枠組みを成した「二つの書物」論、すなわち聖書と自然(理性)の整合性を追求する議論であるが、ウィストンにおいては、「二つの書物」論の自然神学は、聖書解釈の主導権が自然哲学に移されることにより、理性による自然哲学の領域が啓示の領域を侵食し、伝統的な神学的概念の変容を導くことになる。そしてこの点が、「奇跡」概念に関して論じられた。

 報告に続く質疑では、創造や大洪水といった奇跡的出来事を自然学的に説明するという原則を貫くことから帰結する(そしてそれにも関わらず保持される)「奇跡」概念とは何か、またウィストンとトーランド(その『秘儀なきキリスト教』は『地球の新理論』と同年の出版)などの理神論者との違いは何か、といった点について刺激的な議論が交わされ、報告者はそれを通じて論題についてさらに考察を深めることを促された。






2021年11月10日

第23回研究会の報告

 

第23回イングランド啓蒙研究会

2021/11/6 オンライン

前回にひきつづき、論文集の原稿準備のため、会員が研究構想を発表した。


柏崎正憲「労働観の転換と啓蒙 トマス・モアからジョン・ロックへ」

 16世紀において、労働貧民は道徳的劣等者として表象され、そして労働は、度し難い怠け者たちをどうにか秩序に繋ぎとめておくための鎖であった。その一方で、啓蒙と呼ばれる時代には、最下層の賃金労働者をも含めた生産者の勤勉を称え、労働を道徳的同格者たちによる貢献として描き出す著述家たちが現れてくる。このような労働観の転換を、イングランドにおける初期啓蒙の一側面として浮かび上がらせることが本稿の目的である。

 考察の始点と終点には、初期近代において労働を現世的幸福と固く結びつけた二人の代表的思想家、トマス・モアとジョン・ロックが置かれる。モアがその労働者への共感にもかかわらず同時代の労働観を共有しているのにたいして、ロックの宗教観、政治哲学、認識論、教育論、そして政策提言には、新しい労働観が首尾一貫しているのが認められる。『ユートピア』(1516年)と『統治二論』(1690年)とのあいだに生じた変化を解明するために、本稿では人文主義者、共和主義者、そしてピューリタンのテクストもまた扱われる。

 発表に引き続き、意見交換が行われた。ロックの原罪観(労働を原罪に結びつけない)や余暇の考察、彼が成育の過程で天職(calling)の観念をどう受容したか、本稿が扱った労働観の変化が啓蒙思想とどう関連するか、等、筆者の視野を広げるための有益な示唆が与えられた。

An Ease for Overseers of the Poore, 1601. (関西学院大図書館所蔵)


渡邊裕一「啓蒙思想の影? 新大陸におけるロック所有権論の展開を追う」

 渡邊は、17世紀アメリカ植民地政策とジョン・ロックの思想及び実践に関して、先行研究の紹介を中心とする報告を行った。一般に、啓蒙思想というとそのポジティブな側面が強調されがちだが、本報告はあえてそのネガティブな側面に着目した。すなわち、欧州諸国の海外進出とそれに伴う先住民からの収奪等に、啓蒙思想がどのように寄与したのかという論点である。

 本報告では、比較的早い時期にジョン・ロック所有権論とアメリカ植民地政策との関係を主題とした Barbara Arneil, John Locke and America; The Defense of English Colonialism (New York: Oxford University Press, 1996) と、より最近Arneil以降の研究動向も踏まえて著された David Armitage, 'John Locke: Theorist of Empire?,' in Empire and Modern Political Thought, ed. Sankar Muthu (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), pp. 84-111 の内容を紹介した。

 両研究に共通の見解として、次の二点が指摘された。第一は、ロック自身がアメリカ植民地政策に強く関わっていたことは疑い得ない事実であること。第二は、イングランドの植民政策とロックの思想のいずれも、植民地拡大で先んじていたスペインやオランダへのアンチテーゼともあいまって、先住民からの収奪は意図しておらず平和的な植民を目指していたということである。これは、ロックの植民地に関する思想と実践を、短絡的に帝国主義に結びつけることを否定する見解である。

 そのうえで渡邊からは、ロックがアメリカ先住民との平和的関係を志向したことが啓蒙思想の「影」の要素を和らげるとして、彼がアフリカでの奴隷貿易を容認していたことはネガティブな評価を免れ得ないのではないかとの指摘がなされた。

 その後、質疑が行われ、ロックの戦争状態論や刑罰論と収奪正当化の論理的関係、グロティウス『捕獲法論』に関する論点、様々な思想家による植民地論を俯瞰したときのロックの位置づけ、ロックを読んだ後世の思想家と(独立宣言までの)植民地政策との関係等について議論が交わされ、この主題を深度化させるための方向付けと論点整理が図られた。


 



2021年8月17日

第22回研究会の報告


第22回イングランド啓蒙研究会

2021/8/1 オンライン


 前半

 科研費課題の研究成果(論文集)の原稿準備のため、順次、会員が研究構想を発表することを前回会合で決定していた。

 それにもとづき今回は、青木が「イングランド実験哲学の流れ 王立協会、知識論、アイルランドへの影」と題した研究発表をおこなった。

 発表の目的は、初期啓蒙における<平明性>の出自、定式化、伝播を辿ること、すなわち、誰にでも等しく平明に与えられる感覚的な<経験>こそ真理の最終的な拠り所であるというテーゼが受容される過程であった。これを発表者は、イングランド実験哲学の興隆によって始まり、次世代のアイルランドへと伝播していく展望において考察した。

 平明性の理念の出自を示すできごととしては、スプラットによるスコラ学者たちとベーコンの新学問プログラムを実践する王立協会メンバーたちとの対比、グランヴィルの『プラス・ウルトラ』における化学、解剖学、数学の三本柱、そしてボイルによる自然誌の体系化が位置づけられた。次に、ロックが実験哲学の成果をふまえて、どのように経験論の立場を定式化したかが考察された(解剖学的な history から人間知性の history へ、医学的な不可知論から物体や精神をめぐる不可知論へ)。続いて、平明性を旨とする経験論哲学が、モリニュー、トーランド、バークリーといった多彩な思想家たちをつうじて、アイルランドに伝播していく展望が示された。

 発表に引き続き、青木論文の総体的な構想や個々の論点について、活発な意見交換が行われた。一例を挙げると、初期啓蒙における「有用性」という観念が果たした役割(思弁的な scientia から、軍事、航海、測量など「技術」の基礎づけとしての scientia へ)を、どう位置づけ、評価すべきかが議論された。 


Frontispiece to Sprat's History of the Royal Society (1667).


 後半

 フランシス・ハチソン An Essay on the Nature and Conduct of the Passions and Affections, with Illustrations on the Moral Sense (1728/1742) の講読を行った(報告者:柏崎)。

 Treatise I, Section I を精読。ハチソンは「欲望を喚起する」心地悪さ(uneasy sensation)と「欲望に連結した」心地悪さとの区別から、利己的欲望公共的欲望との区別を引き出した。彼によれば、利己的欲望の対象は、私的な善という目的のための手段に引き下げられるのにたいして、公共的欲望は「善意の欲望」であり、欲されることがら自体を目的としている

 この考察をつうじてハチソンが証明しようとしたのは、次のことだと思われる。①人間の内的感官(感受性)は、私的利益を感じる部分と公共的感受性とに、実体的に区別されること。②後者の感受性が喚起する欲望こそが善意(benevolence)であり、それは利己的欲望から完全に独立して作用すること。

 善意が利己心には還元されないと示すために、ハチソンは独立の感官としての「公共的感受性」という想定に所説を基礎づけたが、しかし同時に、それを道徳的サンクション(善き行為への褒賞と悪しき行為への処罰)と両立させた。この点について、理論的には無理を生じさせていないかと、発表者の柏崎は疑問を呈したが、他方で、宗教的観点からの批判を避けるために道徳的サンクションの導入は必要だったのではという指摘もあった。また、理性ではなく内的な欠如から道徳的行為の可能性を導き出す点において、やはりハチソンは画期的な議論を展開したのだという指摘もあった。



2021年6月28日

第21回研究会の報告


第21回イングランド啓蒙研究会

2021/6/27 オンライン


 前半

 本研究会の母体となっている科研費基盤Bの成果報告として、論文集の構想を参加者で議論した。論文集は全体をテーマ別に3部に分け、第1部「平明性」、第2部「自律性」、第3部「寛容性」(あるいは「多元性」)という陣立てを当初念頭に置いていたが、当日参加したメンバーの間の議論で、主に以下のような問題が指摘された。

  1. 扱っている時代や思想家が、イングランドだけでなく、アイルランドやスコットランド、フランスにまで波及しているので、タイトルを「イングランド」としてしまって良いのか。また、時代は何年から何年まで、と区切る必要があるのでは。
  2. 当初の目論見として、この17世紀イングランドの啓蒙思想から、現代人にとって役立つ考え方や、啓蒙思想の「影」にあたる部分を現代的な視点から論じる(例えば、啓蒙は未完のプロジェクトであり、我々にとっての宿題であるといった指摘)、といったアイデアがあったので、是非とも組み入れるべきではないか。
  3. テーマだけではなく、時代的な流れ、という視点もあった方がよいのではないか。

 以上のような問題点を踏まえ、原稿を持ち寄る際、あるいは編集していく際の指針にしていこう、ということでまとまった。


 後半

 フランシス・ハチスン An Essay on the Nature and Conduct of the Passions and Affections, with Illustrations on the Moral Sense (1728/1742) の講読を行った(報告者:柏崎)。

 まず、編者Garretによるイントロダクションを参照しながら、本書の概要(背景や目的)を把握した。

 次に、序文とTreatise I, Section I (Art. I.) に関して、報告者からの発表の後、 特に、ハチスンによる諸々の感覚(道徳感覚を含む)や徳の説明について、ロックやスミス、ストア派、キケロなどとの異同を中心に議論を行い、ハチスンの議論に対する理解を深めた。




2021年6月2日

第20回研究会の報告

   

第20回イングランド啓蒙研究会

2021/4/25 オンライン

 第20回研究会では、前回に引き続き、イングランド啓蒙を理解する上でも重要なフランシス・ハチスンの『美と徳の観念の起源』「第二論文」の報告と検討がなされた。

 第二論文の第一部から第三部までの報告では、道徳的善悪の知覚が自愛心ではなく道徳感覚に由来すること、有徳な行為の源には利害を離れた感情としての仁愛(benevolence = 善意、利他心)があること、行為の道徳性は行為者の仁愛と能力の複合比から利害を差し引いたものによって計られること、という議論が報告された。

 第二論文の第四部から第七部までの報告では、行為の是認が公共性への有用性と仁愛の外観から生じること、仁愛には段階があって近い対象ほど大きくなることがあること、能力・利害・損害・法の知識・絆の強さなどが行為の徳と悪徳の程度に影響を与えること、理性的行為者の最善の状態と最も価値ある幸福が普遍的で効果的な仁愛に見出されること、という議論が報告された。

 これらの報告を踏まえ、benevolenceの適切な訳語、benovolenceと道徳感覚との関係、道徳感覚と美的感覚とのアナロジー、などについて議論がなされた。