2022年5月17日

第26回研究会の報告


第26回イングランド啓蒙研究会

2022/5/15 オンライン

論文集の原稿準備のため、以下の3名が研究発表を行った。


小城拓理「フィルマーの契約論批判再考」

 一般的にはフィルマーの政治理論は王権神授説と家父長主義の結合とされてきた。つまり、フィルマーの政治理論とは神がアダムに全世界を支配する権力を与え、それが代々家父長に継承され、国王の権力に繋がるというものである。そして、このようなフィルマーはロックによって論駁されたと考えられてきた。確かに、以上のようなフィルマー自身の政治理論は思想史的にはともかく、今日では顧みる価値は無いかもしれない。実際、第二次世界大戦後にフィルマーの著作集を校訂したラズレットもサマヴィルもそのように考えているように見受けられる。

 しかし、フィルマーの主張は多岐に渡っており、その一つである契約論批判の現代的意義を強調する研究もある。そこで、本報告はフィルマーの契約論批判を整理した上で、これに対してロックがどのように応答したかを確認することを目的とした。

 本報告の前半ではフィルマーの契約論批判が整理された。フィルマーの契約論批判は二つに大別できる。第一に同意論批判である。これには二つあった。第一に同意の歴史的実在性に対する批判である。つまり、歴史的に見て同意など存在しないという批判である。

 第二に暗黙の同意に対する批判である。これは、暗黙の同意はどんな統治も正当化してしまうという批判である。フィルマーの契約論批判の二つ目は民主政批判と呼ぶべきものである。これも二つあった。第一に多数決批判である。フィルマーは多数決を否定する。というのも、生まれつき自由な人間によって形成される社会で何かを決定する際には全会一致しかありえないからである。第二に抵抗権批判である。フィルマーに言わせれば抵抗権を容認することはアナーキーを招来する。さらに、人間の自由を前提にすれば同意の拒否や撤回を認めることになり、これもまたアナーキーを招来する。

 本報告の後半では以上のフィルマーの契約論批判に対するロックの応答を見た。まず、同意論批判のうち第一の批判に対してロックは同意によって成立した統治の実例を枚挙する一方、事実と規範とを峻別することで退けようとしていた。続いて第二の批判に対してロックは、同意の与え方と同意内容が自然法の規制を受けることを示すことで反論していた。つまり、自然法を前提にする限り暗黙の同意は統治のデ・ファクトな正当化論には陥らないのである。次に民主政批判に対する応答である。

 第一の多数決批判に対しては、ロックは多数決の必要性を強調する一方で、最初の同意内容に多数決の受け入れを盛り込むことで正当化していた。第二の抵抗権批判では統治と社会を区別することでフィルマーに応じていた。さらに、人間の生来の自由を前提にしたとしてもフィルマーが懸念するようなことにはならない。というのも、加入を拒否する独立人であったとしても自然法を遵守する義務があるからである。また、離脱の自由に関しては社会に加入する際の最初の同意内容によってこれを認めないことでロックは対処できる。

 このように見ると、『統治二論』第二篇もまたフィルマーを意識したものであったことが理解できるだろう。そして、以上のようなロックの応答がフィルマーの批判を本当に克服できているかどうかを探ることは我々の課題として残されている。


沼尾恵「ロックとヴォルテールの寛容論の比較」

 本報告は、ロックとヴォルテールの寛容論の比較をとおして、イングランド啓蒙の実態の一断面を明らかにしようとする試みが、いかなる前提のもとに成り立っているもので、またいかなる意義をもつものなのか検証した。一見わかりやすい比較が、実はいくつものことを前提としており、結果、比較の意義が限定的なものにな ってしまうという懸念があることを議論した。

 たとえば、ロックとヴォルテールを比較するということは、両者がなんらかの形でイングランド啓蒙とフランス啓蒙をそれぞれ代表できる思想家であるということを前提としており、言いかえれば、ロックとヴォルテールをみることによってそれぞれの啓蒙の特徴をなにかしらはつかめるということを前提としていることである。これは、明らかにすべきイングランド啓蒙の実態になにかしらのイングランド啓蒙観を持ち込んでいることを意味している。それでは、そうしたイングランド啓蒙観はいかなるもので、いかなる正当性があるのか。こうした観点は、プロジェクトのメンバー間でどの程度共有しており、共有すべきものなのか。こうした疑問を挙げた。

 つぎにロックとヴォルテールの比較において、いかなる観点を採用できるのか検討した。ロックなど初期の啓蒙思想家たちが寛容論を理論化し、フランスの啓蒙思想家たちは寛容を理論化するというよりそれを広めることに力を注いだという活動の違いという観点をまずとりあげた。その後、啓蒙の布教活動的観点だけではなく寛容概念の違いに注目した理論的観点の検討もおこなった。結論としては、活動的な違いというテーゼに近い結論にいたった。

 こうした結果を受け、いかにすればイングランド啓蒙の特徴がわかるのかという方法についての議論ではなく、内容に踏み込んだものがよりふさわしいという意識から、あらためてロックとヴォルテールの比較の意義がどの程度あるのか問い、同時に比較をともわないロックの寛容論の解説に、どれだけの意義があるのか、他のロックの解説書との差別化の方法について検討した。

 


青木滋之「イングランド啓蒙」に賛成/反対の二次文献の紹介

 「イングランド啓蒙」と(後世から)呼ぶことのできる啓蒙活動の運動があったのかについて、「イングランド啓蒙」(あるいは「ブリテン啓蒙」)という言葉を広めた元ネタである Roy Porter, Enlightenment: Britain and the Creation of the Modern World, 2000 を中心に、ポーターの他の著作、Very Short Introduction シリーズの一冊であるロバートソン、近著の生越を取り上げた。

 ポーターによれば、啓蒙主義を考えるにあたって、フランスのフィロゾーフを中心に展開され、フランス革命で頂点を迎えたとされる the Enlightenment ではなく、不定冠詞の複数形である enlightenments を考えなければならない。とりわけ、モンテスキュー、ヴォルテールといった啓蒙主義を代表する思想の背景には、コーヒーハウスでの自由闊達な議論を起点としたイングランドでの草の根運動があったことが重要であるとポーターは指摘する(20年前のポーターの著作だけでなく、近著の M.Jacob, The Secular Enlightenment, 2019 などもこうした見解を共有しているように思える)。とくに、18世紀の始めの1/3は、イングランドの思想家による書き物や活動が実質的に支配的であり、ここを発信源として啓蒙主義の運動はスコットランドやフランスに広まっていったのだから、English Enlightenment = British Enlightenment と言い切ってもよいのではないか、とまでポーターは主張している。

 こうしたポーターの見解に対して、ロバートソンは「そうした緩い定義を採用すると、あれも啓蒙、これも啓蒙」といった状態になりよくない、the Enlightenment を中軸に据えて議論しないといけない、と主張する。ここには、啓蒙主義を不定冠詞で考えるべきか、定冠詞で考えるべきか、という括り方の問題がある。

 研究会でも、下川教授から、イングランドとスコットランドを一緒くたにする議論は乱暴で受け入れられない、という指摘があった。ポーターの「ブリテン啓蒙」には、スコットランド啓蒙の研究者からの反論もある。しかし生越は、近著において「評価の違いはあるものの、イングランドにおいて「理性の自由な使用」、「専制権力からの解放と政治的自由の実現」、「宗教的寛容」という、啓蒙の三要件が最初に実現したのは事実であり、これを「プレ啓蒙」「初期啓蒙」「イングランド啓蒙」ないし「ブリテン啓蒙」と呼ぶかどうかは別として、啓蒙の始まりとみなすことに誰も反対しないだろう」と指摘する。発表者である私も、こうして見解を共有するものである。