2023年5月11日

第30回研究会の報告

 

 

第30回イングランド啓蒙研究会

2023/3/16 福岡大学

 

 報告者:内坂翼、青木滋之

 

1. 内坂報告

 近年の啓蒙研究の諸側面を考察することを目的に、ジョナサン・イスラエル『精神の革命:急進的啓蒙と近代民主主義の知的起源』(2017年、森村敏己訳、みすず書房)と、その原典である Jonathan Israel, A Revolution Of The Mind: Radical Enlightenment and the Intellectual Origins of Modernity (New Jersey: Princeton University Press, 2010) の内容を検討した。

 訳者のまとめにあるように、「イスラエルの啓蒙解釈の特徴は、啓蒙の担い手を急進派と穏健派に区別し、啓蒙時代の思想闘争を急進的啓蒙と穏健な啓蒙、および反啓蒙という三つの勢力による争いと位置づけたうえで、自由、平等、民主主義、政教分離、人権といった『普遍的な』価値を確立したのはもっぱら急進的啓蒙だと論じた点にある」(本書:237頁)。穏健な啓蒙思想家として、ジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、アダム・ファーガスン、ヴォルテール、イマヌエル・カント、チュルゴなどの思想家が批判される一方で、反啓蒙思想家としてジャン=ジャック・ルソーの思想が論じられる。また、バールーフ・デ・スピノザとピエール・ベールのオランダ急進思想を源流とする一八世紀の急進的啓蒙思想家の議論が、近代の普遍的価値の土台としての「精神の革命」を引き起こした歴史的流れが記述される。急進的啓蒙思想家として、リチャード・プライス、ジョゼフ・プリーストリ、ウィリアム・ゴドウィン、メアリ・ウルストンクラフト、トマス・ペイン、ディドロ、ドルバック、エルヴェシウス、コンドルセ侯爵、レッシング、ヘルダーなどの思想が詳細に検討されている。

 各章のタイトルは以下のとおり。

 I. 進歩および世界の改良をめぐる啓蒙の路線対立 Progress and the Enlightenment’s Two Confliction Ways of Improving the World.

 II. 民主主義か社会階層制 — 政治的断絶 Democracy or Social Hierarchy?: The Political Rift.

 III. 平等と不平等の問題 — 経済学の台頭 The Problem of Equality and Inequality: The Rise f Economics.

 IV. 啓蒙による戦争批判と『永久平和』の探求 The Enlightenment’s Critique of War and the Quest for “Perpetual Peace”

 V. ヴォルテールとスピノザ — 啓蒙が示す哲学体系の基本的二元性 Voltaire versus Spinoza: The Enlightenment as a Basic Duality of Philosophical Systems」である。

 研究会では、(a) 穏健な啓蒙思想に対する否定的評価への批判、(b) 啓蒙にキリスト教が寄与した側面の軽視への批判、(c) 急進派と穏健派という分類自体への疑念、(d) スピノザの著作が当時の急進派の思想に与えた影響の妥当性への疑問、(e) 「急進(radical)」という形容詞を現代的視点(自由、平等、民主主義、政教分離、人権といった『普遍的な』価値を重視する視点)から遡及的に歴史を評価する際に使用していることへの批判、などのテーマが議論された。 


2. 青木報告

John Roberson, The Case for the Enlightenment : Scotland and Naples 1680-1760, New York: Cambridge University Press, 2005 の内容報告

 「啓蒙主義」をめぐる研究で近年1つの大きなテーマとなっているのは、啓蒙主義というのが、定冠詞つき大文字の the Enlightenmentであるのか、それとも不定冠詞のan enlightenment(あるいは複数形のenlightenments)であるのか、という問題である。これは、1960年代のピーター・ゲイの啓蒙主義研究の辺りから、表立ったテーマであれ裏テーマであれ、常に啓蒙主義研究の底流にあり続けてきた問題である。現代社会では、民主主義や自由といった価値がグローバルスタンダードであるのか、が一つの重要な論点になっているが(その顕著な例が、ロシアによるウクライナ侵攻であろう)、この論点の思想史研究でのヴァージョンが、定冠詞/不定冠詞の啓蒙主義の問題圏、ということになるだろう。

 本書、John Roberson, The Case for the Enlightenment : Scotland and Naples 1680-1760, New York: Cambridge University Press, 2005 を第30回研究会で取り上げた理由は、同じ著者のジョン・ロバートソン『啓蒙とはなにか(2019 [原著2015])』の訳者解説に、「近年の啓蒙研究が細分化し、啓蒙が複数のものに分化して研究されている現状に対して、改めて一つの啓蒙を主張する著作である」とあり、現代を代表する「定冠詞つき大文字の the Enlightenment」の浩瀚なる研究であると思われたからである。今回の発表は、この著作がどのようなものかを紹介するものであった。

 ロバートソンは、現代の啓蒙研究が「断片的な啓蒙主義 fragmented Enlightenment」研究に陥っていることを嘆きつつ、the Enlightenment を標榜する先行研究として、Robert Darnton, Jonathan Israel を挙げる。しかし、ロバートソンは、両者の研究に満足しない。特にイズラエルの主張、18世紀に先立つ17世紀のラディカル啓蒙主義により「1740年代終わりには、大事な仕事はすでに終わっていた」というテーゼには与しない。そうではなく、1740s以降の定冠詞つきの啓蒙主義 the Enlightenment に特徴的であるのは、来世の存在/非存在に関わりなく、「現世をより良くすること betterment in this world」に新しくフォーカスされていったことだったと指摘する。

 この「現世改革」を標榜する啓蒙主義において重要なのは、ホッブズ、ガッサンディ、ベール、ヒュームといった思想家たちである。その核は、ラディカル啓蒙主義が主張するスピノザ主義ではなく、アウグスティヌス派とエピクロス派の思想潮流が、1680年代以降に収束していった点にあった。それをロバートソンは、スコットランドとナポリというヨーロッパの両端とも言える場所に位置する二つの都市の比較手法によって明らかにしようとする。本書を書くきっかけになったエピソードが本書の冒頭に記されているが、イタリアのバジリカータ州と、スコットランドのハイランド地方の風景が似ていることに驚かされたと、ロバートソンは、述べている。

 研究会では、ロバートソンが述べる、定冠詞つき大文字の啓蒙主義/不定冠詞つき複数形の啓蒙主義の対立という問題点が議論されたほか、アウグスティヌス派やエピクロス派の内実とは何であったのかといった質問が取り上げられた。